「むじしょう」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
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− | + | それ自身で孤立的に存在する本体もしくは独立している実体を「[[じしょう|自性]]」といい、それを否定して「無自性」が説かれる。<br> | |
− | + | 自性を立てて「[[ほう|法]]」(dharma)の体系を確立した[[せついっさいうぶ|説一切有部]]に対し、[[りゅうじゅ|龍樹]]は主著『[[ちゅうろん|中論]]』において、相依(そうえ)・相待(そうたい)の[[えんぎ|縁起]]説を新たに展開し、その理論により自性を根底から覆して無自性を徹底させ、ここに自由で広大な「[[くう|空]]」のありかたが浸透する。'''「無自性 = 空」'''は、実体的な思考を排除すると同時に、いっさいのとらわれのない[[さとり|悟り]]の境地を如実に示す。 |
2020年5月20日 (水) 22:22時点における版
無自性
niḥsvabhāva निःस्वभाव (skt.)
それ自身で孤立的に存在する本体もしくは独立している実体を「自性」といい、それを否定して「無自性」が説かれる。
自性を立てて「法」(dharma)の体系を確立した説一切有部に対し、龍樹は主著『中論』において、相依(そうえ)・相待(そうたい)の縁起説を新たに展開し、その理論により自性を根底から覆して無自性を徹底させ、ここに自由で広大な「空」のありかたが浸透する。「無自性 = 空」は、実体的な思考を排除すると同時に、いっさいのとらわれのない悟りの境地を如実に示す。