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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
(阿羅漢)
 
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'''阿羅漢''' (あらかん、arhan (sanskrit))
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=阿羅漢=
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<big>arhan: arhat</big> (S)
  
[[サンスクリット]]語「arhan」の音写語。略称して[[らかん|羅漢]]ともいう。漢訳は[[おうぐ|応供]]であり、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味である。
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 [[サンスクリット]]語「arhan」の音写語。略称して[[らかん|羅漢]]ともいう。漢訳は[[おうぐ|応供]]であり、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味である。<br>
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 通俗解釈では「ari(敵すなわち煩悩)を han(滅ぼす)」と考えられ、「殺賊」と漢訳されることがある。
  
インドの宗教一般で、「尊敬されるべき修行者」をこのように呼んだ。<br>
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 インドの宗教一般で、「尊敬されるべき修行者」をこのように呼んだ。<br>
初期仏教では修行者の到達し得る最高位をこのように呼ぶ。学道を完成し、これ以上に学ぶ要がないので阿羅漢果を「無学位」という。それ以下は、不還果・一来果・預流果を「有学」(うがく)位という。[[しこうしか|四向四果]]
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 初期仏教では修行者の到達し得る最高位をこのように呼ぶ。学道を完成し、これ以上に学ぶ要がないので阿羅漢果を「無学位」という。それ以下は、不還果・一来果・預流果を「有学」(うがく)位という。[[しこうしか|四向四果]]
  
煩悩の賊(ari)を殺す(√han)から殺賊(せつぞく)と言われたり、[[ねはん|涅槃]]に入って迷いの世界([[さんがい|三界]])に生れない(a(不)+ruh(生ずる))から「不生」と言われたりする。これはいずれも一般的な解釈である。
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 「arhat」の音写。小乗の聖者の4段階([[よる|預流]][[いちらい|一来]]・[[ふげん|不還]]・'''阿羅漢''')の第4段階。煩悩を滅した聖者。これら4段階は、おのおのそこに至る途中と、至り終えた段階とに分けられ、前者を向、後者を果という。阿羅漢についていえば、前者を阿羅漢向あるいは阿羅漢果向、後者を阿羅漢果という。<br>
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 原語「arhat」を「応供」「殺賊」「無生」の3つの意味に解釈し、
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# 世間の供養を受けるにふさわしい人
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# 涅槃に向かう者にとっての賊である煩悩を殺害した人
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# 解脱によって輪廻の世界に再び生まれることがない人
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をいう。<br>
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 また、〈唯識〉においては、[[まなしき|末那識]]を滅し、[[ぼんのうしょう|煩悩障]]を完全に滅し、[[むがく|無学]]の位に至った[[さんじょう|三乗]]すべての聖者をいう。<br>
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その素質(種性)に応じて次の6種に分かれる。
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# 退法<br> 獲得したさとりから退いてそれを失う者
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# 思法<br> 獲得したさとりから退くことをおそれて自害しようと思う者
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# 護法<br> 獲得したさとりを自ら防護する者
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# 安住法<br> 退く縁にあうこともなく、自ら護ることもしなく、修行をさらに加えることもしなく、おなじ程度のさとりに住しつづける者
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# 堪達法<br> 自らの力を高めて不動の阿羅漢に至る能力を持つ者
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# 不動法<br> 獲得した阿羅漢としてのさとりから決して退かない者
  
特に[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]では[[しょうもん|声聞]]を阿羅漢と呼び、批判的に仏と区別した。<br>
 
しかし、大乗仏教では[[にじょう|二乗]]と呼ばれて、阿羅漢と[[どっかく|独覚]]は「仏」になれないとされ、さらには「[[じごく|地獄]]」へも堕ちることができず、その位のまま輪廻が繰り返されるとする論書さえある。
 
  
中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を'''十六羅漢'''と呼び尊崇した。また、第1回の仏典編集([[けつじゅう|結集]])に集まった500人の弟子を[[ごひゃくらかん|五百羅漢]]と称して尊敬することも盛んであった。ことに[[ぜんしゅう|禅宗]]では阿羅漢である[[まかかしょう|摩訶迦葉]]に釈迦の正法が直伝されたことを重視して、釈迦の弟子たちの修行の姿が理想化され、五百羅漢図や羅漢像が作られ、正法護持の祈願の対象となった。
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: 阿羅漢有六種。一退法、二思法、三護法、四安住法、五堪達法、六不動法。〔『婆沙』62、T27-319c〕
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: 諸聖者、断煩悩障、究寛尽時、名阿羅漢。爾時、此識(=末那識)煩悩鹿重永遠離故、説之為捨c此中所説阿羅漢者、通摂三乗無学果位、皆已永害煩悩賊故、応受世間妙供養故、永不復受分段生故。〔『成論』3,T31-13a〕
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: 阿羅漢言応。即殺賊、応供、無生三義故也。〔『述記』3末、T43-341a~b〕
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 煩悩の賊(ari)を殺す(√han)から殺賊(せつぞく)と言われたり、[[ねはん|涅槃]]に入って迷いの世界([[さんがい|三界]])に生れない(a(不)+ruh(生ずる))から「不生」と言われたりする。これはいずれも一般的な解釈である。
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 特に[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]では[[しょうもん|声聞]]を阿羅漢と呼び、批判的に仏と区別した。<br>
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 しかし、大乗仏教では[[にじょう|二乗]]と呼ばれて、阿羅漢と[[どっかく|独覚]]は「仏」になれないとされ、さらには「[[じごく|地獄]]」へも堕ちることができず、その位のまま輪廻が繰り返されるとする論書さえある。
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 中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を'''十六羅漢'''と呼び尊崇した。また、第1回の仏典編集([[けつじゅう|結集]])に集まった500人の弟子を'''五百羅漢'''と称して尊敬することも盛んであった。ことに[[ぜんしゅう|禅宗]]では阿羅漢である[[まかかしょう|摩訶迦葉]]に釈迦の正法が直伝されたことを重視して、釈迦の弟子たちの修行の姿が理想化され、五百羅漢図や羅漢像が作られ、正法護持の祈願の対象となった。

2024年11月9日 (土) 09:38時点における最新版

阿羅漢

arhan: arhat (S)

 サンスクリット語「arhan」の音写語。略称して羅漢ともいう。漢訳は応供であり、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味である。
 通俗解釈では「ari(敵すなわち煩悩)を han(滅ぼす)」と考えられ、「殺賊」と漢訳されることがある。

 インドの宗教一般で、「尊敬されるべき修行者」をこのように呼んだ。
 初期仏教では修行者の到達し得る最高位をこのように呼ぶ。学道を完成し、これ以上に学ぶ要がないので阿羅漢果を「無学位」という。それ以下は、不還果・一来果・預流果を「有学」(うがく)位という。四向四果

 「arhat」の音写。小乗の聖者の4段階(預流一来不還阿羅漢)の第4段階。煩悩を滅した聖者。これら4段階は、おのおのそこに至る途中と、至り終えた段階とに分けられ、前者を向、後者を果という。阿羅漢についていえば、前者を阿羅漢向あるいは阿羅漢果向、後者を阿羅漢果という。
 原語「arhat」を「応供」「殺賊」「無生」の3つの意味に解釈し、

  1. 世間の供養を受けるにふさわしい人
  2. 涅槃に向かう者にとっての賊である煩悩を殺害した人
  3. 解脱によって輪廻の世界に再び生まれることがない人

をいう。
 また、〈唯識〉においては、末那識を滅し、煩悩障を完全に滅し、無学の位に至った三乗すべての聖者をいう。
その素質(種性)に応じて次の6種に分かれる。

  1. 退法
     獲得したさとりから退いてそれを失う者
  2. 思法
     獲得したさとりから退くことをおそれて自害しようと思う者
  3. 護法
     獲得したさとりを自ら防護する者
  4. 安住法
     退く縁にあうこともなく、自ら護ることもしなく、修行をさらに加えることもしなく、おなじ程度のさとりに住しつづける者
  5. 堪達法
     自らの力を高めて不動の阿羅漢に至る能力を持つ者
  6. 不動法
     獲得した阿羅漢としてのさとりから決して退かない者


 阿羅漢有六種。一退法、二思法、三護法、四安住法、五堪達法、六不動法。〔『婆沙』62、T27-319c〕
 諸聖者、断煩悩障、究寛尽時、名阿羅漢。爾時、此識(=末那識)煩悩鹿重永遠離故、説之為捨c此中所説阿羅漢者、通摂三乗無学果位、皆已永害煩悩賊故、応受世間妙供養故、永不復受分段生故。〔『成論』3,T31-13a〕
 阿羅漢言応。即殺賊、応供、無生三義故也。〔『述記』3末、T43-341a~b〕

 煩悩の賊(ari)を殺す(√han)から殺賊(せつぞく)と言われたり、涅槃に入って迷いの世界(三界)に生れない(a(不)+ruh(生ずる))から「不生」と言われたりする。これはいずれも一般的な解釈である。


 特に大乗仏教では声聞を阿羅漢と呼び、批判的に仏と区別した。
 しかし、大乗仏教では二乗と呼ばれて、阿羅漢と独覚は「仏」になれないとされ、さらには「地獄」へも堕ちることができず、その位のまま輪廻が繰り返されるとする論書さえある。

 中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢と呼び尊崇した。また、第1回の仏典編集(結集)に集まった500人の弟子を五百羅漢と称して尊敬することも盛んであった。ことに禅宗では阿羅漢である摩訶迦葉に釈迦の正法が直伝されたことを重視して、釈迦の弟子たちの修行の姿が理想化され、五百羅漢図や羅漢像が作られ、正法護持の祈願の対象となった。