「りょうじゅせん」の版間の差分
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[[ほっけん|法顕]](335?-421?)、[[げんじょう|玄奘]](600/602-664)の旅行記には、山頂にれんが造の説法堂の遺跡があったと伝えている。 | [[ほっけん|法顕]](335?-421?)、[[げんじょう|玄奘]](600/602-664)の旅行記には、山頂にれんが造の説法堂の遺跡があったと伝えている。 | ||
また日本では「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」あるいは「霊山現土」として、理想世界を象徴するものともなった。 | また日本では「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」あるいは「霊山現土」として、理想世界を象徴するものともなった。 |
2017年4月14日 (金) 08:22時点における最新版
霊鷲山
サンスクリット語でグリドラクータ「Gṛdhrakūṭa」といい、音写して耆闍崛山ともいう。
釈尊時代、インドのマガダ国の首都王舎城(ラージャグリハ。現在のラージギル Rājgir)を取り巻く五山のなかの一つで、その名は山頂が鷲(わし)の嘴(くちばし)に似ているからとも、山頂に鷲がすんでいたからとも伝えられる。釈尊はしばしばここにとどまり、『法華経』『無量寿経』『観無量寿経』などの多数の経典を説いたとされる。
法顕(335?-421?)、玄奘(600/602-664)の旅行記には、山頂にれんが造の説法堂の遺跡があったと伝えている。
また日本では「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」あるいは「霊山現土」として、理想世界を象徴するものともなった。