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「[[ほつい]]」と読むこともある。「[[ほっしん|発心]]」と同じ意味である。 | 「[[ほつい]]」と読むこともある。「[[ほっしん|発心]]」と同じ意味である。 | ||
:しばしば「[[しんぼっち|新発意]]」と言って、新たに出家したり得度した僧を呼ぶ。 | :しばしば「[[しんぼっち|新発意]]」と言って、新たに出家したり得度した僧を呼ぶ。 |
2018年8月5日 (日) 09:39時点における最新版
法智
dharma-jñāna (S)
欲界におさめられる有為法の四諦を観察するけがれのない聖智をいう。欲界の煩悩に対してはたらく智。四諦の道理についての認識。十智の一つ。
〔『集異門論』7、T26-393c〕〔『大品般若経』広乗品、T8-254c〕〔『倶舎論』21〕
- 南都では「ほっち」とよみ、北嶺では「ほうち」とよむ。
発意
- しばしば「新発意」と言って、新たに出家したり得度した僧を呼ぶ。