操作

「ほっち」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(発意)
(法智)
 
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
1行目: 1行目:
 +
=法智=
 +
<big>dharma-jñāna</big> (S)
 +
 +
 [[よっかい|欲界]]におさめられる[[ういほう|有為法]]の[[したい|四諦]]を[[かんざつ|観察]]するけがれのない聖智をいう。欲界の[[ぼんのう|煩悩]]に対してはたらく智。四諦の道理についての認識。[[じっち|十智]]の一つ。<br>
 +
〔『集異門論』7、T26-393c〕〔『大品般若経』広乗品、T8-254c〕〔『倶舎論』21〕
 +
 +
::南都では「[[ほっち]]」とよみ、北嶺では「'''ほうち'''」とよむ。
 +
 
=発意=
 
=発意=
 
「[[ほつい]]」と読むこともある。「[[ほっしん|発心]]」と同じ意味である。
 
「[[ほつい]]」と読むこともある。「[[ほっしん|発心]]」と同じ意味である。
  
 
:しばしば「[[しんぼっち|新発意]]」と言って、新たに出家したり得度した僧を呼ぶ。
 
:しばしば「[[しんぼっち|新発意]]」と言って、新たに出家したり得度した僧を呼ぶ。

2018年8月5日 (日) 09:39時点における最新版

法智

dharma-jñāna (S)

 欲界におさめられる有為法四諦観察するけがれのない聖智をいう。欲界の煩悩に対してはたらく智。四諦の道理についての認識。十智の一つ。
〔『集異門論』7、T26-393c〕〔『大品般若経』広乗品、T8-254c〕〔『倶舎論』21〕

南都では「ほっち」とよみ、北嶺では「ほうち」とよむ。

発意

ほつい」と読むこともある。「発心」と同じ意味である。

しばしば「新発意」と言って、新たに出家したり得度した僧を呼ぶ。