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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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2007年11月30日 (金) 07:47時点における版

成仏

さとりを開いて、仏陀(ぶっだ)になること。
仏教の開祖釈迦は、ブッダガヤーの菩提樹の下で明(あけ)の明星を見て仏陀(buddha बुद्ध(skt))すなわち覚(さと)れる者となった。さとりをさまたげる煩悩から解き放たれる意味で解脱といい、仏陀(覚れる者)と成るという意味で成仏という。
釈迦が入滅した後、仏弟子たちは成仏を求めて禅定止観とよぶ宗教的瞑想につとめた。

誤解を恐れずに書けば、釈迦は、すべての思考作用認識作用を停止しようとしたのである。その思考停止から立ち上げの段階に、最初の認識作用が始まる。その最初期の時を捉えなければ、認識作用に何らかの思考作用が混じってしまう。それが止観という修行法であると言える。

かくしてスリランカ、ミャンマー、タイなどに伝わる南方の上座部仏教(Tera‐vaada तेरवाद(pali))では、涅槃(さとりの世界)を求めて解脱を目標とした。

他方、大乗仏教(mahaa-yaana (skt))がインド、中国、日本に伝わる間、禅定止観が重んじられるとともに、それらの修行の階程をふむことを歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)と否定し、によってただちに生死の悩みから涅槃に昇化する即身成仏の思想が生まれた。
日本仏教は各宗通じてこの思潮に立ち、文学作品などで死を成仏と表現するのは、仏教信奉者が死を迎えると仏の命(いのち)に帰ると考えて、死者を成仏したものと理解したためであるとされる。