操作

「りょうじゅせん」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(霊鷲山)
1行目: 1行目:
 
=霊鷲山=
 
=霊鷲山=
サンスクリット語でグリドラクータ「gdhrakuuTa」といい、音写して[[ぎしゃくっせん|耆闍崛山]]ともいう。
+
サンスクリット語でグリドラクータ「Gdhrakūṭa」といい、音写して[[ぎしゃくっせん|耆闍崛山]]ともいう。
  
 釈尊時代、インドの[[マガダ]]国の首都[[おうしゃじょう|王舎城]]([[ラージャグリハ]]。現在のラージギル raajgir)を取り巻く五山のなかの一つで、その名は山頂が鷲(わし)の嘴(くちばし)に似ているからとも、山頂に鷲がすんでいたからとも伝えられる。釈尊はしばしばここにとどまり、『[[ほけきょう|法華経]]』『[[むりょうじゅきょう|無量寿経]]』『[[かんむりょうじゅきょう|観無量寿経]]』などの多数の経典を説いたとされる。
+
 釈尊時代、インドの[[マガダ]]国の首都[[おうしゃじょう|王舎城]]([[ラージャグリハ]]。現在のラージギル Rājgir)を取り巻く五山のなかの一つで、その名は山頂が鷲(わし)の嘴(くちばし)に似ているからとも、山頂に鷲がすんでいたからとも伝えられる。釈尊はしばしばここにとどまり、『[[ほけきょう|法華経]]』『[[むりょうじゅきょう|無量寿経]]』『[[かんむりょうじゅきょう|観無量寿経]]』などの多数の経典を説いたとされる。
  
 
 [[ほっけん|法顕]](335?-421?)、[[げんじょう|玄奘]](600/602-664)の旅行記には、山頂にれんが造の説法堂の遺跡があったと伝えている。
 
 [[ほっけん|法顕]](335?-421?)、[[げんじょう|玄奘]](600/602-664)の旅行記には、山頂にれんが造の説法堂の遺跡があったと伝えている。
  
 
 また日本では「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」あるいは「霊山現土」として、理想世界を象徴するものともなった。
 
 また日本では「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」あるいは「霊山現土」として、理想世界を象徴するものともなった。

2017年4月14日 (金) 08:22時点における版

霊鷲山

サンスクリット語でグリドラクータ「Gdhrakūṭa」といい、音写して耆闍崛山ともいう。

 釈尊時代、インドのマガダ国の首都王舎城ラージャグリハ。現在のラージギル Rājgir)を取り巻く五山のなかの一つで、その名は山頂が鷲(わし)の嘴(くちばし)に似ているからとも、山頂に鷲がすんでいたからとも伝えられる。釈尊はしばしばここにとどまり、『法華経』『無量寿経』『観無量寿経』などの多数の経典を説いたとされる。

 法顕(335?-421?)、玄奘(600/602-664)の旅行記には、山頂にれんが造の説法堂の遺跡があったと伝えている。

 また日本では「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」あるいは「霊山現土」として、理想世界を象徴するものともなった。