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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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*『法華(ほっけ)義記』(現存)
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*『[[ほっけぎき|法華義記]]』(現存)
 
*『成実論疏(しょ)』
 
*『成実論疏(しょ)』
 
*『注大品(ちゅうだいぼん)』
 
*『注大品(ちゅうだいぼん)』

2009年7月7日 (火) 02:10時点における版

法雲

[467年-529年]

 中国、梁代の学僧。住んでいた寺の名から光宅(こうたく)とも光宅寺法雲ともいう。僧旻智蔵とともに、梁の三大法師の1人。俗姓は周氏。義興陽羨(ぎこうようせん)(江蘇(こうそ)省鎮江(ちんこう)県宜興(ぎこう))の人。

  • 7歳のとき 鐘山定林(しょうざんじょうりん)寺の僧印(そういん)について出家。『法華経』を学ぶ
  • 13歳のとき 荘厳寺に移り、僧宗(そうしゅう)および僧遠(そうおん)に学ぶ。
  • 490年ごろ 僧柔(そうじゅう)の講説を聴き、僧旻、智蔵とともに慧次について『成実論』や三論を学んだ。
  • 497年夏 初めて妙音寺で『法華経』『浄名経』を開講して賞賛された。
  • 511年 華林園(かりんえん)における『法華経』の講説に際し、天花降下の奇瑞を感じた。南京の雨花台はその旧跡とされる。
  • 525年 大僧正に任命され、同泰寺に千僧会(せんそうえ)を設けた。

僧俗との交遊も多く、梁の武帝は光宅寺を創建して法雲を住まわせ、家僧とした。

著作

  • 法華義記』(現存)
  • 『成実論疏(しょ)』
  • 『注大品(ちゅうだいぼん)』