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山野に於いて修練して、霊験を成ずる法を修するから、修験という。<br> | 山野に於いて修練して、霊験を成ずる法を修するから、修験という。<br> | ||
[[えんのぎょうじゃ|役行者]]を祖として、修する人を[[やまぶし|山伏]]と言う。 | [[えんのぎょうじゃ|役行者]]を祖として、修する人を[[やまぶし|山伏]]と言う。 |
2010年8月25日 (水) 15:36時点における版
衆賢
saMghabhadra (skt.)
悟入の弟子で、説一切有部の僧で、カシュミールに在った。
世親が『大毘婆沙論』を講じて『倶舎論』を造り有部の過ちを匡したところ、衆賢はこれを有部を誤解しているとして『倶舎雹論』を作成した。この論書を読んで、世親はこの書に『順正理論』と名付けたという。