「くきょう」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
(→究竟) |
(→究竟) |
||
4行目: | 4行目: | ||
ちなみに、究極の[[さとり|悟り]]を'''究竟覚(かく)'''〔[[だいじょうきしんろん|大乗起信論]]〕、究極の[[じゃくめつ|寂滅]]を'''究竟涅槃'''〔[[ほけきょう|法華経]](方便品)〕という。<br> | ちなみに、究極の[[さとり|悟り]]を'''究竟覚(かく)'''〔[[だいじょうきしんろん|大乗起信論]]〕、究極の[[じゃくめつ|寂滅]]を'''究竟涅槃'''〔[[ほけきょう|法華経]](方便品)〕という。<br> | ||
また[[てんだい|天台]]教学では、[[えんぎょう|円教]]の[[しゅぎょう|修行]]の階位を表す[[ろくそく|六即]]のうち最後の、完全な悟りの位を'''究竟即'''〔[[まかしかん|摩訶止観]](1下)〕とよぶ。 | また[[てんだい|天台]]教学では、[[えんぎょう|円教]]の[[しゅぎょう|修行]]の階位を表す[[ろくそく|六即]]のうち最後の、完全な悟りの位を'''究竟即'''〔[[まかしかん|摩訶止観]](1下)〕とよぶ。 | ||
+ | |||
+ | : われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。 〔[[むりょうじゅきょう|無量寿経]] p.24〕 | ||
日本語では、すでに中世から、きわめてすぐれたさまを形容する一般語となり、大変好都合なとか、きわめて強力なの意に用いられた。 | 日本語では、すでに中世から、きわめてすぐれたさまを形容する一般語となり、大変好都合なとか、きわめて強力なの意に用いられた。 |
2018年4月16日 (月) 19:04時点における版
究竟
サンスクリット語の「paryanta」(極限)、「atyanta」(無限の、完全な)、「niṣṭha-√gam」(究極に到る)などの漢訳語。究極(の)、極め尽くすの意で善悪いずれにも用い、形容語としても動詞としても用いる。
ちなみに、究極の悟りを究竟覚(かく)〔大乗起信論〕、究極の寂滅を究竟涅槃〔法華経(方便品)〕という。
また天台教学では、円教の修行の階位を表す六即のうち最後の、完全な悟りの位を究竟即〔摩訶止観(1下)〕とよぶ。
- われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。 〔無量寿経 p.24〕
日本語では、すでに中世から、きわめてすぐれたさまを形容する一般語となり、大変好都合なとか、きわめて強力なの意に用いられた。