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; [[え|慧]]とは所観の[[じ|事]]に於て択法を[[たい|体]]と為し、断疑を[[ごう|業]]と為す。断疑とは慧に由る択法が[[けつじょう|決定]]を得るを謂う。 | ; [[え|慧]]とは所観の[[じ|事]]に於て択法を[[たい|体]]と為し、断疑を[[ごう|業]]と為す。断疑とは慧に由る択法が[[けつじょう|決定]]を得るを謂う。 | ||
已得無漏真作意故、縁聖諦境、一切無漏作意相応、名為択法。〔『瑜伽師地論』83、T30-762c〕 | 已得無漏真作意故、縁聖諦境、一切無漏作意相応、名為択法。〔『瑜伽師地論』83、T30-762c〕 | ||
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+ | :『倶舎論』では、択法を「煩悩を滅するためのすぐれた方法(kleśa-upaśama-abhyupāya)」としている。 |
2019年11月26日 (火) 17:29時点における最新版
択法
dharma-pravicaya (S)
汚れのない智慧で存在のありよう・本質・真理を正しく決定的に観察し分析すること。智慧の別名。詳しくは簡択法という。事がらを区別して考えること。法の簡択。法に関する観察。法についての研究。
已得無漏真作意故、縁聖諦境、一切無漏作意相応、名為択法。〔『瑜伽師地論』83、T30-762c〕
- 『倶舎論』では、択法を「煩悩を滅するためのすぐれた方法(kleśa-upaśama-abhyupāya)」としている。