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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
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2024年7月21日 (日) 08:41時点における版
信仰
仏教では、「信仰」にあたる言葉に、シュラッダー、プラサーダ、アディムクティ、バクティなどがある。
シュラッダー
śraddhā。「信」「信心」「正信」「浄信」「敬信」などと訳される。
仏道修行の初歩を意味し、しっかりとした志を立てて智慧を磨き、さとりに達する。「知らんが為に、われ信ず」の立場であり、
- 仏法は、信をもって入ることができ、智をもって渡ることができる(仏法の大海は信を能入となし、智を能度となす) 〔大智度論〕
と説かれる。
プラサーダ
prasāda。「澄浄」「浄信」と訳す。
心が清く澄みきること。
- 信とは、心をして澄浄ならしむるなり 〔倶舎論巻4 T29-19b〕
アディムクティ
adhimukti。「信解」「勝解」と訳す。
不動・決心・確信などの意味で、仏道にしっかり心を結びつけ動揺しないこと。
バクティ
bhakti。「信愛」と訳す。
神に対する熱烈な絶対帰依の感情を意味する。『バガヴァット・ギーター』などに説かれる。しかし、この語は仏教ではほとんど用いられない。
また、「信光」や「仰信」の語も用いられ、信は根本で、最上の富であり、道の本であり、功徳の母であると強調される。逆に、仏教では、非合理な神の世界や絶対界に対する、絶対帰依としての信仰観は存しないと言える。