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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(一法句)
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 世親の浄土論に
 
 世親の浄土論に
: <big>一法句</big>といふはいはく、清浄句なり。清浄句といふはいはく、真実智慧無為法身なり。〔浄土論 P.38〕
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: '''一法句'''といふはいはく、清浄句なり。清浄句といふはいはく、真実智慧無為法身なり。〔浄土論 P.38〕
 
とある。そこからの語である。
 
とある。そこからの語である。
  
 
 一法・[[しんにょ|真如]][[ほっしょう|法性]]の依事ということで、[[ゆが|瑜伽]][[ゆいしき|唯識]]において[[しょうぎたい|勝義諦]]真如を「無」と「無の有」の二面で表わす場合の「無の有」(abhāvasya bhāvaḥ)をいう。<br>
 
 一法・[[しんにょ|真如]][[ほっしょう|法性]]の依事ということで、[[ゆが|瑜伽]][[ゆいしき|唯識]]において[[しょうぎたい|勝義諦]]真如を「無」と「無の有」の二面で表わす場合の「無の有」(abhāvasya bhāvaḥ)をいう。<br>
 
 真如法性がはたらいて、われわれをしてそれをさとらしめる世間的あらわれであり、浄土の清浄荘厳はまさしくこれである。
 
 真如法性がはたらいて、われわれをしてそれをさとらしめる世間的あらわれであり、浄土の清浄荘厳はまさしくこれである。

2025年3月11日 (火) 11:14時点における版

一法句

eka-dharma-pada (S)

 世親の浄土論に

一法句といふはいはく、清浄句なり。清浄句といふはいはく、真実智慧無為法身なり。〔浄土論 P.38〕

とある。そこからの語である。

 一法・真如法性の依事ということで、瑜伽唯識において勝義諦真如を「無」と「無の有」の二面で表わす場合の「無の有」(abhāvasya bhāvaḥ)をいう。
 真如法性がはたらいて、われわれをしてそれをさとらしめる世間的あらわれであり、浄土の清浄荘厳はまさしくこれである。