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古来から「依託止住(えたくしじゅう)」の意味である。たよりにし、拠り所という留まることを言う。力あり徳あるところに止住して離れざること。 | 古来から「依託止住(えたくしじゅう)」の意味である。たよりにし、拠り所という留まることを言う。力あり徳あるところに止住して離れざること。 |
2017年5月10日 (水) 19:55時点における版
依止
deva-manuṣyān upaniśrāya (S) 「依止人天」〔法華経 湧出品〕
古来から「依託止住(えたくしじゅう)」の意味である。たよりにし、拠り所という留まることを言う。力あり徳あるところに止住して離れざること。
此れ等は是れ我が子なり,是の世界に依止す 〔法華経 湧出品〕
もしは有り、もしは無しなど、これ諸々の見を依止す。 〔法華経 方便品〕
依止甚深
如来がさとった真如の法体は一切の処に遍満して、一切萬有が所依となることを言う。五甚深の一つ。
慧思
(514‐577)
慧文の弟子。晩年に南岳衡山に住したので、南岳大師と尊称される。正確に読むと「えし」である。
幼くして出家したが、40歳に近い頃、慧文禅師に師事して禅を修し、勇猛精進して、昼夜を別たず修行し、ついに法華三昧を開悟し、大乗の法門を一念に明達したという。法華三昧を得たことは、『智度論』の空定から超脱したことを示す。これが智顗に至って佛性を観ず有の観法になっていく。
慧思が光州大蘇山に留まっていた時、智顗がその門に投じ、法華三昧を授けられた。慧思はその後、北斉末の戦乱を避けて、南方の衡山に行き、ここで没した。
慧次
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