操作

ゆいまきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2024年11月10日 (日) 18:36時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (内容)

維摩経

ビマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ、Vimalakīrti-nirdeśa-sūtra、विमलकीर्ति निर्देश सूत्र

 大乗仏教経典の一つで、サンスクリット原典は失われ、チベット語訳と3種の漢訳(支謙訳、鳩摩羅什訳、玄奘訳)が現存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳『維摩詰所説経』(ゆいまきつしょせつきょう)である。

 『維摩経』(「ヴィマラキールティの教え」の意)は、1〜2世紀ころに成立したと思われる大乗経典である。そのサンスクリット本は、引用の形で他書に数個の断片が見られる以外には存在せず、ただ三種の漢訳と一種のチベット訳とがあるだけである。三種の漢訳は、「大正大蔵経』第14巻に収められ、474番『仏説維摩詰経』2巻(3世紀前半、呉の支謙の訳)、475番『維摩詰所説経』3巻(5世紀はじめ、姚秦の鳩摩羅什の訳)、476番『説無垢称経』6巻(7世紀、唐の玄奘の訳)である。チベット訳は『東北目録』(デルゲ版)の176番、『大谷目録』(北京版)の843番にあたる。
 これらの諸本のうち、最も親しまれてきたものは、鳩摩羅什の漢訳である。漢訳は、一般に原文を簡略化し、あるいは修飾補筆することなどが多い。それに対して、チベット訳は、一言一句直訳的であって、最も原文の体裁を保存するものと考えられている。最近、大鹿実秋氏は、デルゲ・北京・ナルタンの三版を校訂して、このチベット訳本文を出版した含インド古典研究』I、成田山、1970年)。

サンスクリット本の発見

 大正大学綜合佛教研究所は1990年に中国民族宮・中国民族図書館との学術交流事業を締結し、同図書館蔵の梵文写本調査を端緒として、中国各地の仏教文献調査を行なってきた。その一環として1997年チベット自治区の学術調査が許可され、1999年7月にはチベット・ポタラ宮所蔵サンスクリット文献調査が実現した。
 ポタラ宮側で作成された目録を呈示され、『ポタラ宮所蔵梵文貝葉目録』ポタラ宮管理処目録番号39号030号 甘珠尓
1. Āryasarvabuddhaviśayāvatārajñānālokālaṃkāra nāma mahāyānasūtram
    入一切佛國智明庄嚴大乘經
2. Abhiratiyogabhātvanākśobhyotothāgatarṣana(ママ)
    如来得不動妙楽光明瑜伽星曜経
 この2.の不思議な経典名が『維摩経』であった。

  同大は1999年7月、ダライ・ラマの書斎を調査中、今回の写本を発見した。縦6センチ、横30センチのヤシの葉の表裏に、7行ずつ経文を記し、全部で約80葉。8世紀のインドの王の侍従が写経したと記す奥付があった。
 表紙には経題がなく、経の一章の題があったので、見逃されていたらしい。発見は「偶然だった」(松濤誠達・同大学長)という。
 挟まっていた布の書き付けによると、ラサの西約500キロのツァム地方の名刹シャル寺の所蔵だったのが、中国の文化大革命で同寺が破壊された際に北京へ運ばれ、最近ポタラ宮へ持ち込まれたとみられる。

内容

 中インド、バイシャーリーの長者ビマラキールティ(維摩詰、維摩)の病気を菩薩や仏弟子たちが見舞うが、みな維摩にやりこめられる。文殊菩薩のみが維摩と対等に問答をし、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示す。全編戯曲的な構成のなかに旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗のの思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。中国、日本で広く親しまれ、聖徳太子三経義疏の一つ『維摩経義疏』をはじめ、注釈も多い。