ほんがく
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
本覚
本来の覚性(かくしょう)ということで、一切の衆生(しゅじょう)に本来的に具有されている悟り(=覚)の智慧(ちえ)を意味する。如来蔵(にょらいぞう)とか仏性をさとりの面から言ったものと考えられる。
真諦訳『大乗起信論』の用例が基本的なものである。そこでは、現実における迷いの状態である「不覚」(ふかく)と、修行の進展によって諸種の煩悩(ぼんのう)をうち破って悟りの智慧が段階的に当事者にあらわになる「始覚」(しかく)と相関して説かれている。迷いの世界にいながら悟りの智慧のはたらきが芽生えてくる過程の中で、そのような智慧のより根源的なありかたとしての本覚という観念の存在が考えられた。唯識(ゆいしき)思想における阿頼耶識(あらやしき)の種子(しゆうじ)の本有(ほんぬ)・始有の考えかたから発想されたと考えられ、われわれの日常心の根源的なありかたを説明する術語である。
日本の本覚思想では、心の絶対的なあり方(心真如(しんしんによ))と同置され、「本覚・真如」と並べることもある。
本覚(ほんがく)思想
日本の天台宗を中心として発展していった思想で、『大乗起信論』に初出する「本覚」(本来の覚性)という術語ないし観念を軸として展開していった。
中国の賢首(げんじゅ)大師法蔵が華厳経 とともに大乗起信論 を用いて華厳教学を確立して本覚思想ははじまる。日本では、空海が大乗起信論 の応用解釈である『釈摩訶衍論』(しゃくまかえんろん)を使って密教を体系化したとき、本覚思想は新たな展開をする。
特に釈摩訶衍論 では、究極の理として本覚以上に「不二摩訶衍(ふにまかえん)法」が強調され、空海はそれを密教にあてはめ最高位とした。そこから本覚思想も不二(ふに)に重点を置いたものとなる。
空海没後、密教に盛りこまれた不二や本覚思想は天台宗に取り入れられ発展をとげた。鎌倉中期になってこの考え方は盛んとなった。
大まかにとらえると、(1)二元相対の現実をこえた不二・絶対の世界の究明、2)そこから現実にもどり、二元相対の諸相を不二・本覚の現れとして肯定、ということになる。
不二
現実の世界には種々の事物や事象が生起しているが、それらは自他・男女・老若・物心(色心(しきしん))・生死・迷悟(仏凡)・善悪・苦楽・美醜などのように、AB二のわくで整理される。そのAB二は、それぞれ独立・固定の実体(我(が)、自性(じしょう))をもって存在しているのではなく、無我・空(くう)のもとで、根底は不二・一体をなしている。つまり、AB不二が真実相であり、永遠相ということである。_維摩経(ゆいまぎよう)(入不二法門品)では、「空」のいいかえとして不二が強調されている。本覚思想は、まずAB不二の永遠相をつきつめていった。これが本覚思想の第1段階であり、第1定義である。ついで、そこから現実にもどり、AB二の諸相をAB不二・本覚の現れとして肯定するにいたる。これが本覚思想の第2段階であり、第2定義である。空海の不二は、この第2段階にあたるものである。男女を例にとれば、男女の二は、本来、根底においては男女不二で、これが第1段階における不二である。ついで現実の男女二にもどり、男女二を男女不二の現れとして肯定してくる。いわば、男女不二と男女二との不二で、これが第2段階における不二である。具体的にいえば、現実の男女二の当相つまり男女の愛欲・合体の当処に男女不二の境地を見るということで、現実に密着した、その意味で現実肯定的な不二・本覚の思想である。
現実肯定論
ただし、空海には現実にたいする否定性が残っていたが、叡山天台における本覚思想は、中世にいたって徹底した現実肯定につき進んだ。まず生死に関して、真の永遠・絶対の生命は生と死の対立を超越した_不生不滅(無生無死)ないし生死不二のところにあり、そこから現実の生死二をふり返って見れば、生も死も、ともに生死不二の現れとして肯定されてくる。ついで同様の論法を仏凡・迷悟の二にあてはめ、仏のみならず、迷いの凡夫もまた_仏凡不二の現れとして肯定するにいたる。凡夫こそは現実に生きた仏のすがたであるとして、凡夫本仏論さえ打ちだされ、ひいては日常の行為・生活のほかに、とりたてての修行は必要なしと説かれた。
日本文化への影響
本覚思想は仏教哲理の究極的なものとして価値高いといえるが、迷いの凡夫までも肯定するにいたった点は、仏教の一線を逸脱するものであり、そこには現実肯定の日本思想が関係していると思われる。すなわち、鎌倉中期近くになって、叡山天台の伝統的な_法華経・本門思想と結合しつつ、現実肯定の日本思想を取りこんで、徹底した現実肯定につき進んだということである。鎌倉中期から以降、これが日本思想側に逆輸入され、神道をはじめ、和歌・能楽・生け花・茶の湯などの文芸の理論化に供せられた。なお、内奥の真理ということから、秘授_口伝(くでん)とか_切紙相承(きりがみそうじよう)という伝達方法がとられたが、これも日本文芸に採用された。