ししゅ
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
四衆
教団を構成するものを分類したもので、比丘・比丘尼・優婆塞(男の信者)・優婆夷(女の信者)の4をいう。時には出家だけに限って比丘・比丘尼・沙弥・沙弥尼をさす。
仏の説法に関係するものを分類する場合
- 発起衆 仏に説法するようにしむけるの。法華経において舎利弗が3度、説法を請うたように
- 当機衆 経を聞いて利益を受けるもの
- 影向衆 他所より来て仏の教化を助けるもの
- 結縁衆 直接利益は受けないが、説法の座に会して仏を拝し法を聞く因縁を結ぶことができたもの
の4をいう。
四取
「取」とは執着のことで、私たちのこの世の生存に対する執着が業を起こす。この「取」には、
の4つがある。
つまり、これらは、私たちが執着を起こす原因である。欲があるから金品に執着し、地位や名誉に執着するのが第一の「欲取」である。次の「見取」の見とはイデオロギーや宗教的信念、人生観などのことである。世界にはいろいろな紛争が起こっているが、その根底に宗教的対立があると、紛争の解決は困難となる。宗教の対立は損得を超えているからである。経済的対立だけなら何とか解決はつく。次の「戒禁取」とは、宗教の修行に関する執着のことである。そして、私たちが自我に執着して自己の間違いをなかなか認めようとしない場合、そこにさまざまな争いが起こるわけだが、そうした我執が、最後の「我語取」である。こうした四取から、私たちのさまざまな行ないが生じているということが、「有業は取より生ず」の意味である。
さらに、この「取」は「愛」を因とする。