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ごねんもん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2025年2月4日 (火) 10:35時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (五念門)

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五念門

 世親(ヴァスバンドゥ)の『浄土論』の所説であり、阿弥陀仏の浄土に生まれるための行を、五方面に整理したものである。

  1. 礼拝門 阿弥陀仏の像を礼拝すること。
  2. 讃歎門 阿弥陀仏の名をほめたたえること。
  3. 作願門 阿弥陀仏の浄土に生まれたいと一心に願うこと。
  4. 観察門 阿弥陀仏の浄土の功徳をさまざまに観察すること。
  5. 廻向門 自己の修めえた功徳の一切を、他のすべての生あるものが浄土に生まれることができるよう、そのてだてとしてめぐらして、ともに成仏しようと願うこと。

 その結果、
 ① 近門 二度と迷いにおちこまない身となって仏のさとりに近づき
 ② 大会衆門 聖者の仲間入りをして
 ③④ 宅門・屋門 止・観の行を成就し
 ⑤ 園林遊戯地門 迷いの世界にたちかえってはすべてのものを救うのをたのしみとする(教化地の益)ことが五功徳門であって、礼拝門―近門というように順次に因と果とを結びあわせてみる。
 またこの因果の両門について、前の4門は自己がさとりに入るためのものであるから入門、後の1門は他を救うためにはたらき出るものであるから出門、合わせて入出二門という。

浄土論

 長行には、つぎのように論じている。

 論じていわく、この願偈には何なる義を明かす。かの安楽世界を観じて阿弥陀仏を見たてまつり、かの国に生ぜんと願ずることを示現す。いかんが観じ、いかんが信心を生ずる。もし善男子善女人、五念門を修して行成就すれば畢竟じて安楽国に生じて、かの阿弥陀仏を見たてまつることを得。何等か五念門なる。一には礼拝門、二には讃歎門、三には作願門、四には観察門、五には廻向門なり。
 いかんが礼拝する。身業をもって阿弥陀如来応正偏知を礼拝したてまつる。かの国に生ずる意をなすが故に。
 いかんが讃歎する。口業をもつてかの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するが故に。
 いかんが作願する。心常に作願し、一心に専ら畢寛じて安楽国土に往生せんと念ず。如実に箸摩他を修行せんと欲するが故に。
 いかんが観察する。智慧をもって観察す。正念に彼を観じて如実に砒婆舎那を修行せんと欲するが故に。かの観察に三種あり。何等か三種なる。一には彼の仏国土の荘厳功徳を観察し、二には阿弥陀仏の荘厳功徳を観察し、三にはかの諸菩薩の荘厳功徳を観察す。
 いかんが廻向する。一切の苦悩の衆生を捨てず、心に常に作願し廻向するを首となす。大悲心を成就することを得るが故に。〔T26, 231b〕