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ねんぶつ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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今日一般的には、浄土教系の宗派教団において、勤行として「南無阿弥陀仏」と称えることをいう。

仏教の教理史的には、およそ3つに分けられる。

1.仏隨念

初期の仏教で、仏を憶念することを念仏と言う。仏教の修定とは基本的にすべての意識活動を停止することだが、隨念とは、できない場合に何かの対象に意識を集中することによって、他のすべての意識活動を停止しようとする方法である。仏身(色身)を憶念の対象とする「見仏」、禅定三昧の中で観察する「観想」・「観仏」も念仏とするようになった。

2.念仏三昧

大乗仏教初期には、諸仏の徳を讃嘆し供養することが大切な行とされた。そこで、三昧に入って念仏をすることがその行とされた。

3.称名念仏

中国浄土教になると、念仏には2つの流れができる。

  1. 「観相念仏」(仏の姿を思い浮かべる) 慧遠白蓮社慈愍禅観念仏など
  2. 「称名念仏」(仏の名を唱える、いわゆる念仏)
    ことに、善導憶念称名とは同一であると主張して、称名念仏を勧めた。この流れは、日本の法然に受け継がれる。