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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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格義

 中国における仏教受容の初期段階に行われた教理解釈法。

 仏教伝来以前に、すでに独自の古典文化を完成させていた中国では、インド仏教の原典に即して直接その教理を理解するのではなく、漢訳仏典に全面的に依拠しつつ、思想類型の全く異なる中国古典との類比において仏教教理を理解しようとした。このような方法を特に「格義」といい、それに基づく仏教を「格義仏教」という。

格義仏教

 時代的には、西晋(280-316)末から東晋(317-420)にかけて盛行し、老荘思想が主流を占めた思想界の状況を反映して、老荘の「」の思想によって般若経典(般若経)の「」の思想を解釈することが流行った。
 西晋末の竺法雅は、豊かな中国古典の教養を活用して仏教に暗い知識人を教導し、格義仏教の端緒を開いて仏教の知識人間への普及に貢献したが、やがて原典から遊離した格義による「空」義研究は多くの異論を生み出すようになり、釈道安の批判を招く結果となった。
 その後、5世紀初頭に鳩摩羅什によって龍樹の般若教学の体系が紹介されるに及んで、格義仏教はその歴史的使命を終えた。
 しかし、中国仏教はその本質において終始格義的仏教であり続けた。

経中の義数を以て、外書に擬配し、生解の例と為す。之れを格義と謂う    〔高僧伝(4、竺法雅伝)〕