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どうゆう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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道融

生没年不詳。後秦時代、鳩摩羅什門下の四哲(道生僧肇・道融・僧叡)の1人。汲郡林慮(河南省汲県)の人。

 初め外学を習い、のち羅什の門に入って訳場に参じた。彰城(江蘇省銅山県)において没した。享年74。

著書

 般若・法華・金光明・十地・維摩などの疏があったが現存しない。
 吉蔵の『法華玄論』1によれば、『法華経』を講ずる時、九轍に科を分けたので時の人から九轍法師と称されたという。

道祐

生没年不詳(一説に興国6年<1345>90歳余で没)。室町時代の真宗の僧。足利義氏の子と伝える。

 初め天台を学び、のち本願寺覚如に帰して一向専修の念仏者となる。和泉の堺に真宗寺(真宗大谷派)を開いた。正平19年<1364>に古本論語を翻刻したという(正平版論語)。

道雄

 -仁寿元<851> 真言宗の僧。俗姓は佐伯氏。讃岐の人。

 慈勝に唯識を、東大寺正進の上足長歳に華厳を学び、のち空海に師事し、十大弟子の一人とされた。弘仁10年<819>山城海印寺を創建。日本の華厳宗第7祖。