ゆいしきじゅうだいろんじ
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
唯識十大論師
単に十大論師とも十論師ともいう。
世親の『唯識三十頌』に対する釈論を作った一○人の大論師をいう。
- 護法(ダルマパーラ, Dharmapāla)
- 徳慧(グナマティ, Guṇamati)
- 安慧(スティラマティ, Sthiramati)
- 親勝(バンドゥシュリー, Bandhuśri)
- 難陀(ナンダ, Nanda)
- 浄月(シュッダチャンドラ, Śuddhacandra)
- 火弁(チトラバーナ, Citrabhāna)
- 勝友(ヴィシェーシャミトラ, Viśeṣamitra)
- 最勝子(ジナプトラ, Jinaputra)
- 智月(ジュニャーナチャンドラ, Jñānacandra)
の10人である。その内で⑧-⑩の3人は護法の弟子というだけで何も伝えられていない。
④親勝と⑦火弁は世親と同時代の人で、初めて『唯識三十頌』の釈論を作ったといわれる。
②徳慧は陳那(ディグナーガ)と同時代の人で前者の弟子が③安慧、後者の弟子が①護法である。徳慧・安慧の系統を無相唯識派、陳那・護法の系統を有相唯識派という。
⑤難陀と⑥浄月は③安慧と同時代の人で①護法の門人であるという。彼らの唯識説については三つの系統があるといわれるが、種子論では難陀は新熏説、護月が本有説、護法は本有新熏合生の説を立て、また護法の四分説に対して陳那と火弁は三分説、難陀・浄月・親勝・徳慧は二分説、安慧は一分説をとる。このうち安慧と護法が最も重要で前者の三十頌釈論だけが梵文・チベット訳とともに伝えられ、また十論師の説を合糅して作られたといわれる『成唯識論』は主として護法の説を採用し、他の諸論師の説を取捨選択したものである。
- この一○人は唯識宗全般の主な十論師というのではなく、成唯識論製作の時に素材となった多くの三十頌釈論の一○人の著者というにすぎないと思われる。