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ゆいしきしょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

唯識性

vijñapti-mātratā: vijñapti-mātratva (S)

 唯識のありようを(現象)と(本質)とに分けるなかの性をいう。唯識であるということ。根本的には、すべての存在の究極の真理、すなわち円成実性である真如を意味するが、三性との関係で、次の2種に分けられる。

1 「虚妄」と「真実」との2種
 前者は遍計所執性をいい、言葉で考えられ執着されるもの、心のなかから除去されるべきもの。後者は円成実性をいい、証せられるもの。
2 「世俗」と「勝義」との2種
 前者は依他起性をいい、心のなかにあるもの、最終的には心のなかで断じられるべきもの。後者は円成実性をいい、証得されるべきもの。前者の「唯識性」(虚妄の唯識性、世俗の唯識性)をまず心のなかに起こし、それへの考察を深めることによって最終的に後者の唯識性(真実の唯識性、勝義の唯識性。唯識実性ともいう)、すなわち真如を証することが唯識観の目的である。

 以上の2種の分類は前者は虚妄・真実という価値的判断による分け方であるのに対して、後者は実践的観点、すなわち惑断理証(惑を断じて理を証する)の観点からの分け方である。円成実性としての唯識性は『唯識三十頌』のなかでは第25頌に説かれる。

 唯識性、略有二種。一者虚妄、謂、遍計所執。二者真実、謂、円成実性。為簡虚妄、説実性言。復有二性。一者世俗、謂、依他起。二者勝義、謂、円成実。〔『成論』9,T31-48a~b〕