せけん

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世間

loka लॊक (skt.)

「loka」は「光る」という意味の動詞「ruc」からでた語で、空間や宇宙をさす。が、仏教では「砕く」の意味をもつ動詞「ルヂ」〈luj〉に由来するとして「滅すべきもの」の意味としている。
このローカにダートウ〈dhaatu〉を加えて、ローカ・ダートウ〈loka-dhaatu〉といい、世間界の意味である。ダートウは一般に構成要素の意味であるが、ここでは範囲とか領域とかの意味で解釈する。このローカ・ダートウの世間は、世界といわれ、サンスクリット語クシェートラ〈kSetra〉の意味といわれる。この場合、クシ〈kSi〉→クシェートラ〈kSetra)であるから、所有地・領地の意味の国土である。

「世間」の類語

 ローカからラウキカ〈laukika〉、すなわち「世俗」の語がつくられるように、ローカ自身は別に悪い意味をもってはいない。しかし、迷の世界として世間を意味する場合が多い。
 この場合、世間の「世」とは

  • 「還流」〈せんる〉の意味で、うつりかわること
  • 「破壊」〈はえ〉の意味で、こわれること
  • 「覆真」〈ふしん〉の意味で、真実をおおっていること

などと解釈される。
また、「間」は「間隔」の意味で、ものが個々別々に差別化されてみられることと解釈される。
 この点で、「世間」とは、本来一味平等であるものに我他彼此と区別を立て、それにこだわって生活しているから、真実がおおわれ、無常であり、破滅すべきものと説かれるのである。この意味で、一般に世間といわれている使い方とは違って、深い人間的反省が、ここにみられる。

 このような「壊れてゆく世界」に対して、仏や菩薩の世界は、出世間〈loka-uttara〉といわれ、世間をこえた境界といわれる。これらの意味で、仏教でいわれる世間は、単に物質的なものではなく、精神的な境界の意味が、その根本的な立場である。

 しかし、やがては、これらの境界が、いわゆる物質的なものを含めて、環境一般をも意味するようになると、衆生世間、器世間、五薀世間の三世間がとかれる。

  • 衆生世間   生命のあるもの
  • 器世間    山河大地など
  • 五薀世間   人間を構成し、世界を構成している構成要素
    五薀が色受想行識であるから、単なる物質的要素でなく、精神的なものを主としている。

インド一般の世間

 この迷いの世界や悟りの世界について、インド古来の須弥山世界説がもちこまれて解釈がなされるようになると、元来、精神的存在であったものが、物質的存在と解釈されるようになり、欲界色界無色界三界を立て、また、地獄などの六道をたてることになる。
 この三界を迷いの世界であるとして、欲界に四悪趣、四洲、六欲天、色界に四禅天、大梵天、浄居天、無想天、無色界に四空処などをかぞえ、悟りの世界について、いろいろの仏の国土浄土などを説き、仏への前提として声聞や縁覚や菩薩などの世界を説き、迷悟両界で十界などという。

仏教の世間

 仏教もこのような世界を物質的世界として説くが、その本意は精神的なものが中心であるから、三界説といっても、それは人びとの精神生活の純化の段階を示したものとうけとられる。
 すなわち欲界から色界へ、色界から無色界へというようである。

  • 欲界は淫欲、食欲の二欲を中心として生活するものの住むところ。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道があり、この天界を六欲天という。
  • 色界は二欲をはなれたものの世界で、ここでは衆生の肉体が殊妙である。物質的な世界といわれるが、実は精神的なものが中心となるから、四禅天がそれである。
  • 無色界とは物質的なものをこえた世界で、それを厭い離れて四無色定をおさめたものの世界で、高い精神的立場をあたえている。この無色界の最高のところを有頂天という。

有頂天

 一般に、「有頂天になる」といって、得意の絶頂にあることをあらわすのは、この意味である。迷の世界での最高処にあることからいわれる。