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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(滅尽定)
 
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nirodha-samāpatti (S)の訳。
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<big>nirodha-samāpatti</big> (S)の訳。
  
 滅受想定・想受滅定ともいい、滅尽三昧と称することもある。心不相応行法の一つ。心と[[しんじょ|心所]](心のはたらき)とをすべて滅し尽くした[[じょう|定]]で、無想定とともに二無心定の一つに数えられる。<br>
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 [[めつじゅそうじょう|滅受想定]]・[[そうじゅめつじょう|想受滅定]]ともいい、滅尽三昧と称することもある。[[しんふそうおうぎょうほう|心不相応行法]]の一つ。[[しん|心]]と[[しんじょ|心所]](心のはたらき)とをすべて滅し尽くした[[じょう|定]]で、[[むそうじょう|無想定]]とともに[[にむしんじょう|二無心定]]の一つに数えられる。<br>
 [[むしょうしょ|無所有処]]の[[ぼんのう|煩悩]]を離れた聖者が、その定の境地を[[むよねはん|無余涅槃]]の静けさになぞらえて無心の寂静境を楽しむために入るもので、この定を修めることによって無色界の第四[[うちょうてん|有頂天]]に生まれる。
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 [[むしょうしょ|無所有処]]の[[ぼんのう|煩悩]]を離れた聖者が、その定の境地を[[むよねはん|無余涅槃]]の静けさになぞらえて[[むしん|無心]]の寂静境を楽しむために入るもので、この定を修めることによって[[むしきかい|無色界]]の第四[[うちょうてん|有頂天]]に生まれる。
  
 [[せついっさいうぶ|説一切有部]]はこの定を別の実体のあるものと主張するが、経部や唯識では仮のものとし、また唯識ではこの定中にも[[あらやしき|阿頼耶識]]は断たないと説く。
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 [[せついっさいうぶ|説一切有部]]はこの定を別の実体のあるものと主張するが、[[きょうりょうぶ|経量部]]や唯識では仮のものとし、また唯識ではこの定中にも[[あらやしき|阿頼耶識]]は断たないと説く。
  
 
 分別論者も想と受とだけが滅するのであって細心は滅しないと主張する。もとは[[ねはん|涅槃]]の境地を定という形で示したものであるらしい。
 
 分別論者も想と受とだけが滅するのであって細心は滅しないと主張する。もとは[[ねはん|涅槃]]の境地を定という形で示したものであるらしい。

2021年6月11日 (金) 19:07時点における最新版

滅尽定

nirodha-samāpatti (S)の訳。

 滅受想定想受滅定ともいい、滅尽三昧と称することもある。心不相応行法の一つ。心所(心のはたらき)とをすべて滅し尽くしたで、無想定とともに二無心定の一つに数えられる。
 無所有処煩悩を離れた聖者が、その定の境地を無余涅槃の静けさになぞらえて無心の寂静境を楽しむために入るもので、この定を修めることによって無色界の第四有頂天に生まれる。

 説一切有部はこの定を別の実体のあるものと主張するが、経量部や唯識では仮のものとし、また唯識ではこの定中にも阿頼耶識は断たないと説く。

 分別論者も想と受とだけが滅するのであって細心は滅しないと主張する。もとは涅槃の境地を定という形で示したものであるらしい。