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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(邪見)
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mithyaa-dṛṣṭi (S)
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 [[ぜんあく|善悪]]の[[かほう|果報]]や[[さんぜ|三世]]の[[いんが|因果]]などを否定する誤った見解。<br>
 
 [[ぜんあく|善悪]]の[[かほう|果報]]や[[さんぜ|三世]]の[[いんが|因果]]などを否定する誤った見解。<br>
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 現代日本語で、「思いやりのないこと」「無慈悲なさま」を意味するのは、正しい見解を持ち得ないという意味から転じたもので、同義の用法は
 
 現代日本語で、「思いやりのないこと」「無慈悲なさま」を意味するのは、正しい見解を持ち得ないという意味から転じたもので、同義の用法は
  世間の法には、慈悲なき者を邪見の者といふ    〔日蓮(顕謗法鈔)〕
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   世間の法には、慈悲なき者を邪見の者といふ    〔日蓮(顕謗法鈔)〕
 
のように、すでに中世から認められる。
 
のように、すでに中世から認められる。

2017年4月30日 (日) 14:37時点における最新版

邪見

mithyā-dṛṣṭi (S)

 善悪果報三世因果などを否定する誤った見解。
 広くはすべての邪悪な誤った見解を指すが、特に因果の道理すなわち縁起の教法や、また修行によって悟りに達した仏陀の存在などを認めず、その結果として三宝の否定につながる見解をいう。
 これは仏教と根本的に対立する立場であるため、誤った五つの見解(五見)の中で最悪のものとみなされている。

 現代日本語で、「思いやりのないこと」「無慈悲なさま」を意味するのは、正しい見解を持ち得ないという意味から転じたもので、同義の用法は

 世間の法には、慈悲なき者を邪見の者といふ    〔日蓮(顕謗法鈔)〕

のように、すでに中世から認められる。