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[[りゅうそう|劉宋]]の[[きょうりょうやしゃ|畺良耶舎]]の漢訳と伝えられるが、異訳や[[サンスクリット]]原典は知られず、中央アジアもしくは中国で作られたとの説もある。ただ、きわめて類似した経典が[[ういぐるご|ウイグル語]]で伝えられている。<br> | [[りゅうそう|劉宋]]の[[きょうりょうやしゃ|畺良耶舎]]の漢訳と伝えられるが、異訳や[[サンスクリット]]原典は知られず、中央アジアもしくは中国で作られたとの説もある。ただ、きわめて類似した経典が[[ういぐるご|ウイグル語]]で伝えられている。<br> | ||
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2004年5月11日 (火) 23:26時点における版
観無量寿経
『観無量寿仏経』『無量寿観経』ともいい、「観経(かんぎょう)」と略称される。浄土三部経の一つ。阿闍世太子が提婆達多にそそのかされて、父の頻婆娑羅王を幽閉し餓死させようとした王舎城の悲劇を導入部として、極楽世界や阿弥陀仏、観音・勢至二菩薩の観想の仕方および九品往生の観想を説く。
翻訳
劉宋の畺良耶舎の漢訳と伝えられるが、異訳やサンスクリット原典は知られず、中央アジアもしくは中国で作られたとの説もある。ただ、きわめて類似した経典がウイグル語で伝えられている。