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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(唯識三十頌)
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triMzikaa vijJaptimaatrataasiddhiH
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triMzikaavijJaptimaatrataasiddhi(三十頌の成唯識)<br>
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[[せしん|世親]](vasubandhu,[[てんじん|天親]]、320-400)著、[[しんだい|真諦]](paramaartha)訳
  
 [[ゆいしき|唯識]]を組織大成した[[せしん|世親]]の代表的著書。<br>
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『転識論』(563ごろ)、[[げんじょう|玄奘]]訳(648 or 649年)T31, pp.60-63<br>
 [[みろく|弥勒]][[むじゃく|無着]]によって唱えられたそれまでの唯識の教理を〈識[[てんぺん|転変]]〉(vijJaana-pariNaama)などという新たな術語を用いつつ、わずか30の偈頌(げじゅ)の中に巧みにまとめあげたものである。世親が自身で註釈をほどこすことなく没したため、その後その内容の解釈をめぐってさまざまの論争が展開された。
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サンスクリット原典、Sylvain Lévi『vijJaptimaatrataasiddhi, trimzikaa』Paris, 1925 <br>
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チベット訳(頌ならびに訳読)東北目録 113, pp 231-233, 300-312
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==内容==
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 [[ゆいしき|唯識]]説は『[[げじんみっきょう|解深密経]]』と『[[だいじょうあびだつまきょう|大乗阿毘達磨経]]』に始まり、[[みろく|弥勒]]・[[むじゃく|無着]]でだいたい完成したが、若干足らないところがあって[[せしん|世親]]がそれを捕って全く完成に達した。世親よりも後は、唯識説としては変遷はあったが、発展といえるほどのものはない。<br>
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 世親が補った点として主なものは2つある。『唯識三十頌』は『解深密経』から『[[しょうだいじょうろん|摂大乗論]]』までの多くの書によって明らかにされた唯識説の大綱を30の頌にまとめたものであるが、その際、従来の説に欠けていた変異(pariNaama)と[[しんじょ|心所]]の説を新しくつけ加えた。<br>
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 『三十頌』はわずか30の頌の中に唯識説の全体を圧縮したものであるのに、心所に関する説明に多くの頌を割いていることが日立つ。これは[[せしん|世親]]が心所のことを三性・転依・二智などよりも特に重視したからではなく、『解深密経』『[[ちゅうべんふんべつろん|中辺分別論]]』『[[だいじょうしょうごんきょうろん|大乗荘厳経論]]』『摂大乗論』等の重要な著作に心所の説明がはなはだ手薄であったからである。重要であっても従来詳しく説かれているものは簡にしている。
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 心所のほかに世親が補ったもう1つの点は識の変異(vijJaanapariNaama)という思想である。parinaama(玄奘訳の「転変」)は従来仏教だけでなくひろく用いられていたが、そのpariNaamaを特に識に結びつけてvijJaanapariNaamaという概念を唯識説の術語として構成したのは世親であって、それより前にはvijJaanapariNaamaという概念は見出されない。<br>
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 きわめて組織的包括的に唯識説を述べた『摂大乗論』でもvijJaanapariNaamaという語は1回も見出されないのに、それとは比較にならぬ小篇の『三十頌』では5回もこの語が用いられ、したがって『三十頌』の思想体系の中でこの語は重要な役割を担っている。<br>
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 ところがその意味については[[あんね|安慧]]と[[ごほう|護法]]の解釈はまったくちがっている。安慧によれば「'''識の変異'''」とは、前後の刹那に亘って識と識との間に認められる相違であるが、護法によれば、同一刹那すなわち現在刹那における能変の識体とその所変との間の関係であるから、転変は2刹那に跨がることはできない。<br>
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 これらの2つの解釈の中では護法の解釈よりも安慧の見解が『梵文三十頌』と一致する。識体から相分や見分が変現することを説き、「変とは謂わく識体転じて二分に似るなり」という『成唯識論』の思想はまったく護法の独創であって、安慧や世親の知らない思想である。<br>
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 この転変の思想を基本として唯識説が構成されているので、『成唯識論』の説は観念論となっている。しかし安慧や世親には「識体から相分(心内の境)が変現する」という思想はなく、したがって観念論ではない。<br>
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 変異とは、識の状態が前の刹那と今の刹那とでは「変り異なっていること」である。無着までは現在刹那における識と境との関係はよく示されたが、前後の関係を明確に示す概念が欠けていたので世親が「識の変異」という概念でそれを補ったのである。
  
 
 それらの諸異説のうち[[ごほう|護法]]の見解を正統なものとしてまとめあげたのが、[[げんじょう|玄奘]]が訳した『[[じょうゆいしきろん|成唯識論]]』であり、この論の出現によって中国において[[ほっそうしゅう|法相宗]]が成立した。
 
 それらの諸異説のうち[[ごほう|護法]]の見解を正統なものとしてまとめあげたのが、[[げんじょう|玄奘]]が訳した『[[じょうゆいしきろん|成唯識論]]』であり、この論の出現によって中国において[[ほっそうしゅう|法相宗]]が成立した。
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==註釈==
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* 梵文には安慧釈がある。
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* 宇井伯寿『安慧護法唯識三十頌』は梵文からの和訳と研究である。
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* 山口益、野沢静証共著『世親唯識の原典解明』
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* 上田義文『唯識思想入門』

2011年6月1日 (水) 13:07時点における版

唯識三十頌

triMzikaavijJaptimaatrataasiddhi(三十頌の成唯識)
世親(vasubandhu,天親、320-400)著、真諦(paramaartha)訳

『転識論』(563ごろ)、玄奘訳(648 or 649年)T31, pp.60-63
サンスクリット原典、Sylvain Lévi『vijJaptimaatrataasiddhi, trimzikaa』Paris, 1925 
チベット訳(頌ならびに訳読)東北目録 113, pp 231-233, 300-312

内容

 唯識説は『解深密経』と『大乗阿毘達磨経』に始まり、弥勒無着でだいたい完成したが、若干足らないところがあって世親がそれを捕って全く完成に達した。世親よりも後は、唯識説としては変遷はあったが、発展といえるほどのものはない。
 世親が補った点として主なものは2つある。『唯識三十頌』は『解深密経』から『摂大乗論』までの多くの書によって明らかにされた唯識説の大綱を30の頌にまとめたものであるが、その際、従来の説に欠けていた変異(pariNaama)と心所の説を新しくつけ加えた。
 『三十頌』はわずか30の頌の中に唯識説の全体を圧縮したものであるのに、心所に関する説明に多くの頌を割いていることが日立つ。これは世親が心所のことを三性・転依・二智などよりも特に重視したからではなく、『解深密経』『中辺分別論』『大乗荘厳経論』『摂大乗論』等の重要な著作に心所の説明がはなはだ手薄であったからである。重要であっても従来詳しく説かれているものは簡にしている。

 心所のほかに世親が補ったもう1つの点は識の変異(vijJaanapariNaama)という思想である。parinaama(玄奘訳の「転変」)は従来仏教だけでなくひろく用いられていたが、そのpariNaamaを特に識に結びつけてvijJaanapariNaamaという概念を唯識説の術語として構成したのは世親であって、それより前にはvijJaanapariNaamaという概念は見出されない。
 きわめて組織的包括的に唯識説を述べた『摂大乗論』でもvijJaanapariNaamaという語は1回も見出されないのに、それとは比較にならぬ小篇の『三十頌』では5回もこの語が用いられ、したがって『三十頌』の思想体系の中でこの語は重要な役割を担っている。
 ところがその意味については安慧護法の解釈はまったくちがっている。安慧によれば「識の変異」とは、前後の刹那に亘って識と識との間に認められる相違であるが、護法によれば、同一刹那すなわち現在刹那における能変の識体とその所変との間の関係であるから、転変は2刹那に跨がることはできない。
 これらの2つの解釈の中では護法の解釈よりも安慧の見解が『梵文三十頌』と一致する。識体から相分や見分が変現することを説き、「変とは謂わく識体転じて二分に似るなり」という『成唯識論』の思想はまったく護法の独創であって、安慧や世親の知らない思想である。
 この転変の思想を基本として唯識説が構成されているので、『成唯識論』の説は観念論となっている。しかし安慧や世親には「識体から相分(心内の境)が変現する」という思想はなく、したがって観念論ではない。
 変異とは、識の状態が前の刹那と今の刹那とでは「変り異なっていること」である。無着までは現在刹那における識と境との関係はよく示されたが、前後の関係を明確に示す概念が欠けていたので世親が「識の変異」という概念でそれを補ったのである。

 それらの諸異説のうち護法の見解を正統なものとしてまとめあげたのが、玄奘が訳した『成唯識論』であり、この論の出現によって中国において法相宗が成立した。

註釈

  • 梵文には安慧釈がある。
  • 宇井伯寿『安慧護法唯識三十頌』は梵文からの和訳と研究である。
  • 山口益、野沢静証共著『世親唯識の原典解明』
  • 上田義文『唯識思想入門』