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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(空観)
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 概説すれば、小乗仏教では我空観を修習して[[ぼんのうしょう|煩悩障]]を断除し、大乗仏教では我法二空観を修習して煩悩障と[[しょちしょう|所知障]]との二障を離れる。
 
 概説すれば、小乗仏教では我空観を修習して[[ぼんのうしょう|煩悩障]]を断除し、大乗仏教では我法二空観を修習して煩悩障と[[しょちしょう|所知障]]との二障を離れる。
  
;世尊於雜阿笈摩中爲婆羅門婆拕梨説
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世尊於雜阿笈摩中爲婆羅門婆拕梨説
;  婆拕梨諦聽 能解諸結法 謂依心故染 亦依心故淨
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  婆拕梨諦聽 能解諸結法 謂依心故染 亦依心故淨
;  我實無我性 顛倒故執有 無有情無我 唯有有因法
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  我實無我性 顛倒故執有 無有情無我 唯有有因法
;  謂十二有支 所攝蘊處界 審思此一切 無補特伽羅
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  謂十二有支 所攝蘊處界 審思此一切 無補特伽羅
;  既觀内是空 觀外空亦爾 能修<font color=red>空觀</font>者 亦都不可得    〔倶舎論 T29-154bc〕
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  既觀内是空 觀外空亦爾 能修<font color=red>空觀</font>者 亦都不可得    〔倶舎論 T29-154bc〕
  
 
 天台宗の教学では、これを、
 
 天台宗の教学では、これを、
# 色を極微に析き、心を刹那に分かって観察する[[しゃっくう|析空]]観
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# [[しき|色]]を[[ごくみ|極微]]に析き、心を刹那に分かって観察する[[しゃっくう|析空]]観
# 諸法は因縁所生であるとして、その当体において空を観察する体空観
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# [[しょほう|諸法]]は因縁所生であるとして、その当体において空を観察する体空観
 
# 仮・中の二諦のほかに、別に空諦を観察する偏空観、
 
# 仮・中の二諦のほかに、別に空諦を観察する偏空観、
 
# 仮・中の二諦に即する空を観察する円空観
 
# 仮・中の二諦に即する空を観察する円空観
の四つに分類する。この四つの区別は修行者の素質の利鈍によるものである。<br>
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の4つに分類する。この4つの区別は修行者の素質の利鈍によるものである。<br>
 
 天台宗で、仮から空に入る観想法。常識的な思慮分別によって真実と考えられているものは、真実の立場からみると、実体のないもの、すなわち空であるということ。
 
 天台宗で、仮から空に入る観想法。常識的な思慮分別によって真実と考えられているものは、真実の立場からみると、実体のないもの、すなわち空であるということ。

2020年8月20日 (木) 15:40時点における版

空観

 一切の存在はそれ自体の本性がなく、固定的に実在するものでないという真理を観想する方法。一切の存在を(実体がない)と観ずる立場。むなしいと観察すること。諸事物はみな空(実体がない)であるという道理をさとるために修行する観法。諸事物は因縁所生(もろもろの原因と条件とにより生起すること)であるから、その実体はあることがなく、空寂無相であると観察することをいう。
 概説すれば、小乗仏教では我空観を修習して煩悩障を断除し、大乗仏教では我法二空観を修習して煩悩障と所知障との二障を離れる。

世尊於雜阿笈摩中爲婆羅門婆拕梨説
  婆拕梨諦聽 能解諸結法 謂依心故染 亦依心故淨
  我實無我性 顛倒故執有 無有情無我 唯有有因法
  謂十二有支 所攝蘊處界 審思此一切 無補特伽羅
  既觀内是空 觀外空亦爾 能修空觀者 亦都不可得    〔倶舎論 T29-154bc〕

 天台宗の教学では、これを、

  1. 極微に析き、心を刹那に分かって観察する析空
  2. 諸法は因縁所生であるとして、その当体において空を観察する体空観
  3. 仮・中の二諦のほかに、別に空諦を観察する偏空観、
  4. 仮・中の二諦に即する空を観察する円空観

の4つに分類する。この4つの区別は修行者の素質の利鈍によるものである。
 天台宗で、仮から空に入る観想法。常識的な思慮分別によって真実と考えられているものは、真実の立場からみると、実体のないもの、すなわち空であるということ。