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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(ページの作成:「=本質=  影像に対する本質。影像がそれによって生じるもとの本体。たとえば鏡のなかに物体の鏡像(影像 pratibimba)が生じる...」)
 
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==唯識==
 
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 「[[ゆいしき|唯識]]」に説かれる本質。<br>
 
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 本質とは、[[あらやしき|阿頼耶識]](潜在的な根本識)が作り出し阿頼耶識みずからが対象として認識している'''存在の基体'''をいう。この本質を根拠・よりどころとして、顕在的な識である[[げんしき|眼識]]・[[じしき|耳識]]・[[びしき|鼻識]]・[[ぜっしき|舌識]]・[[しんしき|身識]]・[[いしき|意識]]の[[ろくしき|六識]]おのおののなかに、さまざまな事物の影像を生じる。
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 本質とは、[[あらやしき|阿頼耶識]](潜在的な根本識)が作り出し阿頼耶識みずからが対象として認識している'''存在の基体'''をいう。この本質を根拠・よりどころとして、顕在的な識である[[げんしき|眼識]]・[[にしき|耳識]]・[[びしき|鼻識]]・[[ぜっしき|舌識]]・[[しんしき|身識]]・[[いしき|意識]]の[[ろくしき|六識]]おのおののなかに、さまざまな事物の影像を生じる。
 
  [[ふんべつ|分別]]の影像の身を循く[[かんざつ|観察]]する門に由って本質の身を審に諦らかに観察す。
 
  [[ふんべつ|分別]]の影像の身を循く[[かんざつ|観察]]する門に由って本質の身を審に諦らかに観察す。
 
  [[しん|心]][[しんじょ|心所]]が起こる時に、能縁の上に本質と同分の影像が[[けんげん|顕現]]す。
 
  [[しん|心]][[しんじょ|心所]]が起こる時に、能縁の上に本質と同分の影像が[[けんげん|顕現]]す。

2021年8月4日 (水) 13:24時点における最新版

本質

 影像に対する本質。影像がそれによって生じるもとの本体。たとえば鏡のなかに物体の鏡像(影像 pratibimba)が生じる場合、物体そのものを本質(bimba)という。

二の縁の故に諸の像が生ずることを得る。一には本質、二には鏡などなり

(S) bimba

唯識

 「唯識」に説かれる本質。
 本質とは、阿頼耶識(潜在的な根本識)が作り出し阿頼耶識みずからが対象として認識している存在の基体をいう。この本質を根拠・よりどころとして、顕在的な識である眼識耳識鼻識舌識身識意識六識おのおののなかに、さまざまな事物の影像を生じる。

分別の影像の身を循く観察する門に由って本質の身を審に諦らかに観察す。
心所が起こる時に、能縁の上に本質と同分の影像が顕現す。