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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 [[しょうじ|生死]][[りんね|輪廻]]が尽きて[[じゃくめつ|寂滅]]に帰すること。「[[げんげん|還源]]」とも漢訳される。迷妄(めいもう)におおわれた[[うじょう|有情]]は、生死を重ね[[ろくどう|六道]]を輪廻するが、このような在り方を「[[るてん|流転]]」(pravRtti)という。それに対し、[[まよい|迷い]]の存在を断ち切って[[ねはん|涅槃]]に入ることを「還滅」という。なお、[[ほんがく|本覚]]思想に基づく教説にあっては、生死を相続する迷いの心を尽くし、本来的に[[しょうじょう|清浄]]なる心の本体(本覚の体)へ復帰することを意味する〔大乗起信論義記(中)〕。
 
 [[しょうじ|生死]][[りんね|輪廻]]が尽きて[[じゃくめつ|寂滅]]に帰すること。「[[げんげん|還源]]」とも漢訳される。迷妄(めいもう)におおわれた[[うじょう|有情]]は、生死を重ね[[ろくどう|六道]]を輪廻するが、このような在り方を「[[るてん|流転]]」(pravRtti)という。それに対し、[[まよい|迷い]]の存在を断ち切って[[ねはん|涅槃]]に入ることを「還滅」という。なお、[[ほんがく|本覚]]思想に基づく教説にあっては、生死を相続する迷いの心を尽くし、本来的に[[しょうじょう|清浄]]なる心の本体(本覚の体)へ復帰することを意味する〔大乗起信論義記(中)〕。

2017年7月18日 (火) 13:40時点における版

還滅

nivṛtti (S)

 生死輪廻が尽きて寂滅に帰すること。「還源」とも漢訳される。迷妄(めいもう)におおわれた有情は、生死を重ね六道を輪廻するが、このような在り方を「流転」(pravRtti)という。それに対し、迷いの存在を断ち切って涅槃に入ることを「還滅」という。なお、本覚思想に基づく教説にあっては、生死を相続する迷いの心を尽くし、本来的に清浄なる心の本体(本覚の体)へ復帰することを意味する〔大乗起信論義記(中)〕。