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ごあく

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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五悪

 『無量寿経』には5つの漢訳がある。そのうち支謙訳『大阿弥陀経』と支婁迦讖訳『無量清浄平等覚経』という初期の2訳と、後期3訳のうちの康僧鎧訳と伝えられる『大無量寿経』とには、「五悪段」(「三毒五悪段」「悲化段」ともいう)と呼ばれる長文の一段がある。
 これは、阿弥陀仏の功徳やその仏国士のようすなどを説いたあとで、一転して、この世の人びとが五種の悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)に沈没し、救うべからざるありさまでいるのを克明に描写したものである。この世はそのように悪と苦に満ちているが、そのなか なで一日一夜たりとも慈心をもち、斎戒する者は、阿弥陀仏国において百年善を作すに勝っている。なぜなら、かの仏国には諸悪は毛髪ほどもないからである、という趣旨を語ってい る。
 「五悪段」は内省的な悲歎の色彩が強く、自己の悪をしみじみと述懐するという趣になっている。

 「五悪段」は『無量寿経』諸本のうち、前記の3訳にのみ見出され、現存サンスクリット本、チベット訳、さらに菩提流支訳『大宝積経無量寿如来会』、法賢訳『無量寿荘厳経』という後期諸本には欠けている。そのために、「五悪段」は原『無量寿経』には存在しなかったのに、支謙・支婁迦讖などの初期の漢訳者が翻訳に際して挿入したものであり、『大無量経』の漢訳者(康僧鎧、あるいは仏陀跋陀羅法雲)も前2経の漢文を整文化して挿入した、と考える学者も多い。3本の「五悪段」の文章がよく似ており、しかもそのなかに道教儒教の術語が多い、ということも、挿入説の根拠として挙げられるのが常である。