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ぶはぶっきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2004年10月9日 (土) 10:31時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版

部派仏教(ぶはぶっきょう)

釈迦および直弟子時代の初期仏教を継承し、インドを中心に栄えた伝統的学派を指す。新興の大乗仏教側からは、小乗仏教と蔑称されたが、正しくは「部派仏教」あるいは「アビダルマ仏教」と呼ぶべきであろう。

釈迦入滅後100年、アショーカ王(前3世紀)のころ、仏教教団は保守的な上座部(テーラバーダ、theravaada、sthaviravaada)と進歩的な大衆部(だいしゅぶ、マハーサンギカ、MahaasaaNghika)とに分裂した。原因は不詳だが、戒律や教理の解釈の対立と思われ、これを根本分裂と呼ぶ。
以後、分派が繰り返され、上座部系11部派と大衆部系9部派の、いわゆる「小乗20部」が成立した。この20部派と、これらの部派が伝えた経・律・論の教説が「部派仏教」と言われる。

代表的な部派は、西北インドの説一切有部(せついっさいうぶ)、中西インドの正量部(しょうりょうぶ)、西南インドの上座部の上座部系統と、南方インドの大衆部などがある。
大乗仏教から特に批判されたのは「説一切有部」である。彼らがもっとも多くの比丘を擁していただけでなく、三世実有・法体恒有を主張し、存在としてのが実在するとしたから、存在がであるとした大乗仏教から批判を受けた。
スリランカに伝えられた上座部は、特に「南方上座部」と呼ばれ、ミャンマー、タイ、カンボジアなどの東南アジア諸国に伝わり今日にいたっている。
上座部系の法蔵部経量部の教理は、大乗仏教の教理と一致することが多く、大乗仏教成立の起源に彼らの教理の影響があったと考えられている。

分裂の様子

部派の分派の様子は、北伝仏教南伝仏教では少し異なっている。それを図示すれば以下のようになる。

(北伝) 20部派
大衆部─┬─────────┬─────
    ├ 一説部     ├ 制多山部
    ├ 説出世部    ├ 西山住部
    ├ 鶏胤部     └ 北山住部
    ├ 多聞部
    └ 説仮部

上座部─┬─雪山部───────────────
    └ 説一切有部─┬───────────
            ├ 犢子部─┬─────
            │     ├ 法上部─
            │     ├ 賢冑部─
            │     ├ 正量部─
            │     └ 密林山部
            ├ 化地部─┬─────
            │     └ 法蔵部─
            ├ 飲光部───────
            └ 経量部───────
(南伝) 18部派
大衆部─┬─────────────────────────────
    ├ 鶏胤部───┬─────────────────────
    │       ├ 多聞部─────────────────
    │       └ 説仮部─────────────────
    ├ 一説部─────────────────────────
    └ 制多山部────────────────────────

上座部─┬─────────────────────────────
    ├ 化地部─┬───────────────────────
    │     └説一切有部┬─────────────────
    │           └飲光部┬─────────────
    │               └説転部┬─────────
    │                   ├経量部──────
    │                   └法蔵部──────
    └ 犢子部─┬───────────────────────
          ├法上部────────────────────
          ├賢冑部────────────────────
          ├密林山部───────────────────
          └正量部────────────────────

(編集中)