じょうごう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
2009年7月17日 (金) 12:54時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: '=長行= gadya (skt.) 仏教の経典・論書の文体で、韻文(偈)に対して、散文をいう。字句に制限がなく、行数が長いところから''...')
長行
gadya (skt.)
仏教の経典・論書の文体で、韻文(偈)に対して、散文をいう。字句に制限がなく、行数が長いところから長行という。楞伽経(1)、瑜伽師地論(81)など比較的後期の仏典に見える語。
吉蔵は経・論に、長行のみからなるもの、偈のみのもの、偈と長行の混交したものの3種があるという(百論疏(上))。
インドの美文芸(kaavya)の理論でも、美文芸をpadya(韻文体)とgadya(散文体)とmizra(それらの混交)に分ける。
- この論の長行の中に、また五念門を修すと言へり 〔教行信証(行)〕
- 如来の説法に二種の趣きあり…浅略趣と言ふは諸経の中の長行・偈頌是れなり、秘密趣とは諸経の中の陀羅尼是れなり 〔性霊集(9)〕
定業
niyatakarman (skt.)
説一切有部の説で、報いを受ける時期が定まっている業のこと。「不定業」に対する。その時期については、現世、次の世、第三生以後の3期が区別され、それぞれに対応する業を「順現業」(順現法受業)、「順生業」(順次生受業)、「順後業」(順後次受業)と称し、合わせて「三時業」という。
定業(浄土教)
なお、浄土教では、瞑想に入って阿弥陀仏とその世界を観察することを定業という。
- 定まれる業ありて、これをもて世を背(そむ)きたまはば、浄土に往き登りて 〔上宮聖徳法王帝説〕
- いかに定業なりとも、矢一つにて、ものもいはで死ぬる者やある 〔曾我(1.河津)〕