てんね
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
目次
転依
aazraya-paraavRtti: aazraya-parivRtti (skt)
所依を転じること。人間存在を支えているよりどころ・根拠が変化すること。自己存在全体が汚れた迷いの状態から、清らかなさとりの状態に変化すること。三性で言えば、依他起性の上の遍計所執性を捨して円成実性を得ること。
- 「転」とのみ略称することがある。
『成唯識論』10〔T31,54c-55b〕では、転依を「能転道・所転依・所転捨・所転得」の4つに分けて詳しく分析している。
能転道
能く転依を起こす道。煩悩障と所知障との二障を捨てて菩提と涅槃との2果を得る力となる智をいう。これに二つがある。
能伏道
有漏智・無漏智の2智に通じ、有漏の六行智と加行智・根本智・後得智の無漏の3智をいう。これらの智は二障の種子の勢力を伏して具体的に現ぜしめない。
能断道
3智の中の根本智と、後得の無漏の2智をいう。これらの智は二障の種子を断じる。
所転依
転依されるもの。能転道の智によって染汚な状態から清浄な状態にもたらされるもの。
持種依
種子すなわち一切の存在を生じる可能力を保持している阿頼耶識(本識)をいう。それが基体となって転依が成立する。
迷悟依
迷う、あるいはさとるよりどころである真如をいう。真如は、これに迷えば生死に輪廻して染汚な状態となり、これをさとれば涅槃を得て清浄な状態となる。
所転捨
能転道の智によって捨てられるものである種子をいう。
所断捨
煩悩障と所知障との二障の種子。この種子は無漏智が生じた刹那(無間道)に断ぜられる。
所棄捨
障とはならない有漏法の種子と劣なる無漏法の種子。これらは障とはならないが、金剛喩定においてこれらの種子を保持している阿頼耶識が根底から清浄となるから有漏の種子と劣なる無漏の種子もおのずから捨てられる。
所転得
二障の種子が断じられることによって獲得されるもの。
所顕得
涅槃のこと。涅槃は真如を本体とし、二障が除かれることによって真如が顕現する。