さんじきょう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
三時教
古来インド仏教の瑜伽行者たちは、部派仏教の中において修行を続けていた。しかし、龍樹などの中観思想の影響を受けて大乗菩薩道を形成する過程で『解深密経』を説き、みずからの新しい瑜伽行唯識思想の立場を宣言した、教相判釈のことを言う。
世尊は、第1時に『阿含経』の四諦相の有教(うきょう)を説き、第2時に『般若経』などの一切法無自性の空教を説いたが、それらは「未了義」(方便の教え)であり、第3時に「真了義」として『解深密経』の三性三無自性の中道教を説いたという説。
法相宗と三時教判
法相宗を開宗するにあたって、基は、この玄奘直伝の三時教を自宗の所依の教判的立場として中国仏教的な天台宗などの教判を批判した。
日本の法相宗も三時教の教判的立場を継承し、とくに徳一が『中辺義鏡』においてこの立場から天台宗の五時八教を批判し、それに対して最澄が『守護国界章』で反論した。