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にてんのみょうか

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

二転の妙果

唯識の術語

 二転によって証得する妙果、という意味。二種転依果、二転依果、二勝果とも言い、略して二転依、あるいは二転と言う。これは、煩悩障所知障の二つの障を断尽して転得する二種の勝妙なる果を言う。1に「大菩提」、2に「大涅槃」である。

 障を断ずるは二の勝果を得んが為の故なり    〔成唯識論1〕
 煩悩を転ずるに由りて大涅槃を得、所知障を転じて無上覚を証す。唯識を成立するの意は、有情をして斯くの如きの二転依の果を証得せしめんが為なり。    〔〃9〕
 初地に入る時、六七二識を転じて妙観(察智)平等(性智)の二智を得、仏果に至る時、五八識を転じて円鏡成事の二智を得。此の時四智円満し、二転の妙果朗然たり。其の所証の理に四の涅槃あり。‥‥此の四を總束して清浄法界と名づけ前の四智に加へて以て五法と為す。    〔八宗網要巻下〕

 これは所知障を断尽し、有漏八識を転じて四智菩提の果を証し、また煩悩障を断尽して四種涅槃の果を得。四智および清浄法界の五法円満せる仏果大覚地を二転の妙果と名づけるのは、ここからである。
 また、『摂大乗論』ではこれを智断の二徳に配している。

 因位に在りて真如を修し、所顕の十地究竟して皮肉心の三障を出離す。即ち是れ智断二種の転依なり。此の転依に由るが故に法身を得。    〔摂大乗論14〕
 已に一切の障を離るゝの人は即ち是れ諸仏なり。能く此の転を得ば一切の相顕現せず、即ち是れ断徳なり。一切の相滅するを以ての故に清浄真如顕現す、即ち是れ智徳なり。如理如量智円満するが故なり、謂はく一切智及び一切種智を具す。    〔〃13〕

 これは、根本智後徳智の二智をもって智徳とし、一切の相顕現せざる大般涅槃を以て断徳としたものである。

 また、ことにこれを勝妙の果と名づけるのに関して、

 二乗の二果は極円満に非ざれば、果なるも而も勝に非ず。下地の二法は已に円満に非ざれば、勝なるも而も果に非ず。究竟の二果のみ彼を過出すれば勝果の名を立つ。    〔成論述記1本〕

と言っている。