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にもん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

二門

  • 「門」とは差別の意味である。

淨土門・聖道門

 唐の道綽の分けた考え方である。

  1. 淨土門 阿弥陀仏の浄土に往生して、仏果を得る教門。
  2. 聖道門 この土において、凡夫が仏になろうとする道を修行する教門。

 聖道門は「智門」、浄土門は「悲門」と呼ばれることもある。般若経の空の教えによって、智門から悲門に展開する。
 聖道門は因行、浄土門は果徳。聖道門では、行の果を回向するが、真宗では聖道門からは不回向である。
 浄土門の果徳とは、母乳の様なものであり、乳は母体には要がなく、すべて子の為である。

  •  聖道門は不二門。浄土門は不二の中の而二門である。
 一にはいはく聖道、二にはいはく往生浄土なり。その聖道の一種は、今の時証しがたし。一には大聖(釈尊)を去ること遥遠なるによる。二には理は深く解は微なるによる。このゆゑに『大集月蔵経』(意)にのたまはく、「わが末法の時のうちに、億々の衆生を起し道を修すれども、いまだ一人として得るものあらず」と。当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり。    〔安楽集 p.241〕
 おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。  〔教行信証 p.394〕

遮詮門・表詮門

 主に中観唯識の区分を指していう。この区分は華厳宗で言われる。
 遮詮とは、否定することによって真実を表そうとする。これは中観を指し、涅槃は不生不滅真空寂滅と説くように、遮情の門である。これに対し、表詮とは、肯定しながら真実を表そうとするもので、唯識の手法である。涅槃は常楽我浄三徳秘蔵と説くように、表徳の門である。
 顕教を区分するのに通じているので、遮詮・表詮というのは言詮について言い、遮情・表徳は法体についての相違である。

  • 真言宗では、このような区分とせずに、顕教は遮情門であり、密教は表徳門である、と区分する。

迹門・本門

 『法華経』の前14品を迹門と呼び、後14品を本門と呼ぶ。

抑止門・摂取門

 善導による区分である。『観無量寿経』と『無量寿経』の相違を会通したものである。
 抑止門とは、衆生が重罪を造らないように、方便して、悪逆の衆生は浄土に往生できないと抑止する教門であり、仏の大智である。
 それに対して摂取門は、極悪の衆生も仏を念ずれば往生することができると摂取する教門であり、仏の大悲である。

行布門・円融門

 『華厳経』の内容を二つに区分して見る区分である。
 行布門とは、行とは行列であり浅深、布とは分布であり狭広を表し、十住十行十回向十地等覚妙覚と四十二位の法門を次第に説いているので言う。
 円融門は、法界の理が円融無礙であることを明かして、四十二位で一つの位を挙げたとしても全ての位が摂められているとするものである。「初発心時便成正覚」と説くのがこれである。

  • 天台宗では、これを別教・圓教の差別としている。

折伏門・摂受門

 折伏とは、悪を折り非を伏して仮借しないことを言う。これは仏の大智の徳である。摂受とは、何事にも逆らわず、善悪ともにこれを摂取する。これは仏の大悲の徳である。
 この差別は『摩訶止観』に出てくる。

性起門・縁起門

真如門・生滅門

福徳門・智慧門

戒門・乗門

悲門・智門

 聖道門は「智門」、浄土門は「悲門」と呼ばれることもある。般若経の空の教えによって、智門から悲門に展開する。

定門・慧門

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