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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(漏尽)
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aasrava-kSaya (skt.)
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<big>āsrava-kṣaya</big> (S)
  
 [[ぼんのう|煩悩]]の尽きた状態。煩悩を離れること。「aasrava」(漏)とは、本来「流入」の意味であり、煩悩や[[ごう|業]]や苦難が身の中へ漏れ入ることである。[[じゃいなきょう|ジャイナ教]]ではもっぱらこの意味で考えている。<br>
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 [[ぼんのう|煩悩]]の尽きた状態。煩悩を離れること。「āsrava」(漏)とは、本来「流入」の意味であり、煩悩や[[ごう|業]]や苦難が身の中へ漏れ入ることである。[[じゃいなきょう|ジャイナ教]]ではもっぱらこの意味で考えている。<br>
 
 [[りんね|輪廻]]の原因であるこれらを防止し消滅させることにより、輪廻からの[[げだつ|解脱]]が得られると考えられていた。これが「漏尽」である。
 
 [[りんね|輪廻]]の原因であるこれらを防止し消滅させることにより、輪廻からの[[げだつ|解脱]]が得られると考えられていた。これが「漏尽」である。
  
 
 また、この状態を自ら知覚することを「漏尽智」「漏尽通」といい、[[さんみょう|三明]]、[[ろくじんずう|六神通]]の一つである。
 
 また、この状態を自ら知覚することを「漏尽智」「漏尽通」といい、[[さんみょう|三明]]、[[ろくじんずう|六神通]]の一つである。
  
:後には、aasravaはもっぱら「煩悩の漏出」と解釈された。
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:後には、āsravaはもっぱら「煩悩の漏出」と解釈された。

2021年4月21日 (水) 17:22時点における版

漏尽

āsrava-kṣaya (S)

 煩悩の尽きた状態。煩悩を離れること。「āsrava」(漏)とは、本来「流入」の意味であり、煩悩やや苦難が身の中へ漏れ入ることである。ジャイナ教ではもっぱらこの意味で考えている。
 輪廻の原因であるこれらを防止し消滅させることにより、輪廻からの解脱が得られると考えられていた。これが「漏尽」である。

 また、この状態を自ら知覚することを「漏尽智」「漏尽通」といい、三明六神通の一つである。

後には、āsravaはもっぱら「煩悩の漏出」と解釈された。