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− | 造作の意味でいえば、行は「[[ごう|業]]」の意味となり、[[じゅうにいんねん|十二因縁]] | + | 造作の意味でいえば、行は「[[ごう|業]]」の意味となり、[[じゅうにいんねん|十二因縁]]における第2支の'''行'''はこの意味であり、 |
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# 非福行 苦果をもたらす悪行 | # 非福行 苦果をもたらす悪行 | ||
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の三行でこれを説明することもある。後には、現在世の[[かほう|果報]]をもたらした過去世の三業(身業・口業・意業)と解釈された。<br> | の三行でこれを説明することもある。後には、現在世の[[かほう|果報]]をもたらした過去世の三業(身業・口業・意業)と解釈された。<br> | ||
遷流の意味では、行は「[[うい|有為]]」の意味である。つまり、有為は因縁によって造られたもの、つまり[[むじょう|無常]]であるすべての存在現象を意味する。諸行無常の行はこれである。<br> | 遷流の意味では、行は「[[うい|有為]]」の意味である。つまり、有為は因縁によって造られたもの、つまり[[むじょう|無常]]であるすべての存在現象を意味する。諸行無常の行はこれである。<br> | ||
− | [[ごうん|五薀]]の一つである行は、はじめは「思」(=意思)を意味したから、造作の意味で解釈されたが、後に、識受想識以外の[[ういほう|有為法]] | + | [[ごうん|五薀]]の一つである行は、はじめは「思」(=意思)を意味したから、造作の意味で解釈されたが、後に、識受想識以外の[[ういほう|有為法]]をすべて行蘊に含ませるようになったので、遷流の意味に従うこととなった。この行蘊を心と相応する法(=[[しんじょほう|心所法]])と、相応しない法とに分ける。 |
===諸行無常=== | ===諸行無常=== | ||
− | sarvasaṃskārā anityāḥ सर्वसँस्कारा अनित्याः<br> | + | <big>sarvasaṃskārā anityāḥ सर्वसँस्कारा अनित्याः</big><br> |
三法印の一つ'''[[しょぎょうむじょう|諸行無常]]'''の「諸行」はこの語の複数形で、現象世界の生滅変化している全存在をいう。 | 三法印の一つ'''[[しょぎょうむじょう|諸行無常]]'''の「諸行」はこの語の複数形で、現象世界の生滅変化している全存在をいう。 | ||
− | : | + | :この「行」を「人間の営み」という意味で使う場合が多いが、むしろこの「行」は存在、存在現象を言うので、「<big>有為</big>」という呼び方をする方が原意に近い。 |
==その他== | ==その他== | ||
われわれの身心を構成する五つの要素である[[ごうん|五蘊]](色受想行識)の「行」と、[[じゅうにいんねん|十二因縁]](十二縁起)の第二支の「行」は、いずれも意識を生ずる意志作用である。 | われわれの身心を構成する五つの要素である[[ごうん|五蘊]](色受想行識)の「行」と、[[じゅうにいんねん|十二因縁]](十二縁起)の第二支の「行」は、いずれも意識を生ずる意志作用である。 |
2018年4月15日 (日) 22:22時点における版
行
gamana、carita、caryaa、pratipatti、bhāvanā、anuyoga、saṃskāra、saṃskṛta
サンスクリット原語および漢訳術語の数が多いので、主なものを挙げている。
gamana गमन
行住坐臥の四威儀のうちの「行」(gamana)は歩くことである。
carita चरित
菩薩の行願(修行と誓願)、行証(修行とその結果である証悟)、加行(けぎよう、準備的修行)、信行(信心と修行)、大行大信(名号の働きとしての称名と信心)、解行(理解と修行)、行学(実践と学問)などの「行」は実践(carita、caryā、pratipatti)であり、繰り返し身につけるという意味の修行(bhāvanā、anuyoga)をいう。
仏道修行のことを「行道」という。この語は、仏を右廻りに3度めぐって散華・読経する儀式にも使う。三種行儀(尋常・別時・臨終)のような念仏行事の儀式を「行儀」という。
「教行証」「教理行果」などの「行」はこのチャリタである。浄土真宗では、南無阿弥陀仏の名号および称名念仏を「大行」という。
karman कर्मन्
「行」は行為・行動であるから業(karman)と同義に使われ、身口意の行いを「行業」という。
saṃskāra सँस्कार
さらに、仏教教理の固有の術語として使われる「行」の原語に、saṃskāra(形成力、形成されているもの)あるいはsaṃskāta(形成されたもの、有為)があり、本来、造作(つくること)の意味であったが、転じて、遷流(移り変ること)の意味を生じた。
造作の意味でいえば、行は「業」の意味となり、十二因縁における第2支の行はこの意味であり、
- 福行 楽果をもたらす世間的な善行
- 非福行 苦果をもたらす悪行
- 不動行 禅定三昧の行
の三行でこれを説明することもある。後には、現在世の果報をもたらした過去世の三業(身業・口業・意業)と解釈された。
遷流の意味では、行は「有為」の意味である。つまり、有為は因縁によって造られたもの、つまり無常であるすべての存在現象を意味する。諸行無常の行はこれである。
五薀の一つである行は、はじめは「思」(=意思)を意味したから、造作の意味で解釈されたが、後に、識受想識以外の有為法をすべて行蘊に含ませるようになったので、遷流の意味に従うこととなった。この行蘊を心と相応する法(=心所法)と、相応しない法とに分ける。
諸行無常
sarvasaṃskārā anityāḥ सर्वसँस्कारा अनित्याः
三法印の一つ諸行無常の「諸行」はこの語の複数形で、現象世界の生滅変化している全存在をいう。
- この「行」を「人間の営み」という意味で使う場合が多いが、むしろこの「行」は存在、存在現象を言うので、「有為」という呼び方をする方が原意に近い。
その他
われわれの身心を構成する五つの要素である五蘊(色受想行識)の「行」と、十二因縁(十二縁起)の第二支の「行」は、いずれも意識を生ずる意志作用である。