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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(煩悩即菩提)
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 [[しようじそくねはん|生死即涅槃]]とともに、大乗仏教の究極を表す句として、有名となった。
 
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: [[ほっしょう|法性]]を離れて外に諸法あることなきにより、是の故に是の如く説く、煩悩即菩提なりと    〔大乗荘厳経論(随修品)〕
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 [[ほっしょう|法性]]を離れて外に諸法あることなきにより、是の故に是の如く説く、煩悩即菩提なりと    〔大乗荘厳経論(随修品)〕
  
: 我れ則ち真如なりと知りぬれば、煩悩即菩提なり、生死即涅槃なれば、煩悩を断じ、生死を離れむと思ふ煩もなし    〔真如観〕
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 我れ則ち真如なりと知りぬれば、煩悩即菩提なり、生死即涅槃なれば、煩悩を断じ、生死を離れむと思ふ煩もなし    〔真如観〕

2017年6月21日 (水) 06:15時点における版

煩悩即菩提

 煩悩悟りとは、ともにであり、本来は不二相即していること。煩悩がそのまま悟りのとなること。

 大乗仏教の用語で、積極的にはすべては真実不変の真如の現れであり、悟りの実現をさまたげる煩悩も真如の現れにほかならず、それを離れて別に悟りはないことをいう。
 生死即涅槃とともに、大乗仏教の究極を表す句として、有名となった。

 法性を離れて外に諸法あることなきにより、是の故に是の如く説く、煩悩即菩提なりと    〔大乗荘厳経論(随修品)〕
 我れ則ち真如なりと知りぬれば、煩悩即菩提なり、生死即涅槃なれば、煩悩を断じ、生死を離れむと思ふ煩もなし    〔真如観〕