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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 自己。自己という存在。他('''para''')に対する自(ātman)。自相続と訳す「sva-saṃtāna」を「自」と訳す例がある。
 
 自己。自己という存在。他('''para''')に対する自(ātman)。自相続と訳す「sva-saṃtāna」を「自」と訳す例がある。
 
===sva : svaka===
 
===sva : svaka===
 「自己の」「自らの」という形容詞。「自らの児の為の故に勤めて守護を加う」「衆生の貧窮は自らの業の過失なり」回
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 「自己の」「自らの」という形容詞。
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自らの児の為の故に勤めて守護を加う
 
===ātmanā : mayā : svayam===
 
===ātmanā : mayā : svayam===
 
 「自己自身で」「みずから」を意味する副詞。
 
 「自己自身で」「みずから」を意味する副詞。

2017年5月29日 (月) 04:51時点における版

ātman

 自己。自己という存在。他(para)に対する自(ātman)。自相続と訳す「sva-saṃtāna」を「自」と訳す例がある。

sva : svaka

 「自己の」「自らの」という形容詞。

自らの児の為の故に勤めて守護を加う

ātmanā : mayā : svayam

 「自己自身で」「みずから」を意味する副詞。

独覚というは唯だ自ら道を悟るをいう
仏菩薩は漏尽智に由って自らに染汚なし

に対する言葉。

は個別的具体的な事象・現象を意味し、は普遍的な絶待・平等の真理・理法を指す。このような概念はインド仏教では顕著ではなく、また漢訳仏典にも現れない中国仏教に独特のものである。
ことに華厳では、は融通無碍の関係にあると説き、四法界三重観門などの教理を作り上げて、普遍的なと個別的具体的なとか一体にして不可分であることを強調した。

  • 密教では、を摂持の義と解して、一切の事相がおのおのその体を摂持するから、これをとして、理の体を地水火風空識の六大とする。