「はんにゃはらみつ」の版間の差分
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般若波羅蜜は当初は他の波羅蜜と並列されており、それが他の諸波羅蜜(ことに[[ろくはらみつ|六波羅蜜]])全体を統括したところに、大乗仏教がスタートしたともいえる。<br> | 般若波羅蜜は当初は他の波羅蜜と並列されており、それが他の諸波羅蜜(ことに[[ろくはらみつ|六波羅蜜]])全体を統括したところに、大乗仏教がスタートしたともいえる。<br> | ||
これは智慧の完成とも、智慧によって彼岸に到るとも解されて、その智慧の内容は[[くう|空]]すなわち完全な無[[しゅうじゃく|執着]]、いっさいのとらわれを離れる、いわんや実体的な考えの徹底的な否定である。さらに般若波羅蜜のサンスクリット語が女性名詞であるところから、[[ぶつも|仏母]](仏の母)とされ、のちに次第に密教との関係が深まってゆく。 | これは智慧の完成とも、智慧によって彼岸に到るとも解されて、その智慧の内容は[[くう|空]]すなわち完全な無[[しゅうじゃく|執着]]、いっさいのとらわれを離れる、いわんや実体的な考えの徹底的な否定である。さらに般若波羅蜜のサンスクリット語が女性名詞であるところから、[[ぶつも|仏母]](仏の母)とされ、のちに次第に密教との関係が深まってゆく。 | ||
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+ | 『般若経』は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧(般若)の六波羅蜜の修行のうち、特に般若波羅蜜を重視し、すべての波羅蜜は、般若波羅蜜(智慧の修行)をめざすものとして修されるべきであり、むしろ般若波羅蜜ひとつの修行のなかに他の諸々の波羅蜜はそなわることを示している。梵本『八千頌般若経』第三章に、次のようにある。アーナンダ(阿難)長老に、世尊(釈尊)が語りかける。 | ||
+ | だからアーナンダよ、その般若(智慧)は最高のものであるから波羅蜜という名称を得るのであり、そしてその(般若)によって、'''一切智性へ廻向された諸々の善根が波羅蜜という名称を得る'''のである。したがって、アーナンダよ、善根が一切智性へ廻向されることから、般若波羅蜜は(他の)5つの波羅蜜の先導者であり、その案内者であり、指導者なのである。このようなあり方で、5つの波羅蜜は般若波羅蜜のなかにこそ含まれている。アーナンダよ、正に般若波羅蜜というのは、6つの波羅蜜を満足していることに対する名前である。それゆえにアーナンダよ、般若波羅蜜が称揚されるときには、6つの一切の波羅蜜が称揚されたことになるのである。 |
2021年8月30日 (月) 12:47時点における版
般若波羅蜜
prajñā-pāramitā (S)
「般若」(skt:prajñā,pali:paññā)は、仏教を一貫する最高の徳である智慧をいう。これは直観的で総合的な特色を持ち、対象化し分析を進める知識(skt.:vijñāna,pali:viññāṇa)とは異なる。
「波羅蜜」(skt.:pāramitā)は、特に大乗仏教において強調され、完成を意味する。しかし、漢訳とチベット訳では、彼岸に到る(度(わた)る)と解釈された。
般若波羅蜜は当初は他の波羅蜜と並列されており、それが他の諸波羅蜜(ことに六波羅蜜)全体を統括したところに、大乗仏教がスタートしたともいえる。
これは智慧の完成とも、智慧によって彼岸に到るとも解されて、その智慧の内容は空すなわち完全な無執着、いっさいのとらわれを離れる、いわんや実体的な考えの徹底的な否定である。さらに般若波羅蜜のサンスクリット語が女性名詞であるところから、仏母(仏の母)とされ、のちに次第に密教との関係が深まってゆく。
『般若経』は、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧(般若)の六波羅蜜の修行のうち、特に般若波羅蜜を重視し、すべての波羅蜜は、般若波羅蜜(智慧の修行)をめざすものとして修されるべきであり、むしろ般若波羅蜜ひとつの修行のなかに他の諸々の波羅蜜はそなわることを示している。梵本『八千頌般若経』第三章に、次のようにある。アーナンダ(阿難)長老に、世尊(釈尊)が語りかける。
だからアーナンダよ、その般若(智慧)は最高のものであるから波羅蜜という名称を得るのであり、そしてその(般若)によって、一切智性へ廻向された諸々の善根が波羅蜜という名称を得るのである。したがって、アーナンダよ、善根が一切智性へ廻向されることから、般若波羅蜜は(他の)5つの波羅蜜の先導者であり、その案内者であり、指導者なのである。このようなあり方で、5つの波羅蜜は般若波羅蜜のなかにこそ含まれている。アーナンダよ、正に般若波羅蜜というのは、6つの波羅蜜を満足していることに対する名前である。それゆえにアーナンダよ、般若波羅蜜が称揚されるときには、6つの一切の波羅蜜が称揚されたことになるのである。