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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(般若波羅蜜)
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prajJaa-paaramitaa (skt.)
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<big>prajñā-pāramitā</big> (S)
  
 「般若」(skt.:prajJaa,pali:paJJaa)は、仏教を一貫する最高の[[とく|徳]]である[[ちえ|智慧]]をいう。これは直観的で総合的な特色を持ち、対象化し分析を進める知識(skt.:vijJaana,pali:viJJaaNa)とは異なる。<br>
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 「般若」(skt:prajñā,pali:paññā)は、仏教を一貫する最高の[[とく|徳]]である[[ちえ|智慧]]をいう。これは直観的で総合的な特色を持ち、対象化し分析を進める知識(skt.:vijñāna,pali:viññāṇa)とは異なる。<br>
 「波羅蜜」(skt.:paaramitaa)は、特に[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]において強調され、完成を意味する。しかし、漢訳とチベット訳では、[[ひがん|彼岸]]に到る(度(わた)る)と解釈された。
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 「波羅蜜」(skt.:pāramitā)は、特に[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]において強調され、完成を意味する。しかし、漢訳とチベット訳では、[[ひがん|彼岸]]に到る(度(わた)る)と解釈された。
  
 
 般若波羅蜜は当初は他の波羅蜜と並列されており、それが他の諸波羅蜜(ことに[[ろくはらみつ|六波羅蜜]])全体を統括したところに、大乗仏教がスタートしたともいえる。<br>
 
 般若波羅蜜は当初は他の波羅蜜と並列されており、それが他の諸波羅蜜(ことに[[ろくはらみつ|六波羅蜜]])全体を統括したところに、大乗仏教がスタートしたともいえる。<br>
 
 これは智慧の完成とも、智慧によって彼岸に到るとも解されて、その智慧の内容は[[くう|空]]すなわち完全な無[[しゅうじゃく|執着]]、いっさいのとらわれを離れる、いわんや実体的な考えの徹底的な否定である。さらに般若波羅蜜のサンスクリット語が女性名詞であるところから、[[ぶつも|仏母]](仏の母)とされ、のちに次第に密教との関係が深まってゆく。
 
 これは智慧の完成とも、智慧によって彼岸に到るとも解されて、その智慧の内容は[[くう|空]]すなわち完全な無[[しゅうじゃく|執着]]、いっさいのとらわれを離れる、いわんや実体的な考えの徹底的な否定である。さらに般若波羅蜜のサンスクリット語が女性名詞であるところから、[[ぶつも|仏母]](仏の母)とされ、のちに次第に密教との関係が深まってゆく。

2017年8月14日 (月) 19:10時点における版

般若波羅蜜

prajñā-pāramitā (S)

 「般若」(skt:prajñā,pali:paññā)は、仏教を一貫する最高のである智慧をいう。これは直観的で総合的な特色を持ち、対象化し分析を進める知識(skt.:vijñāna,pali:viññāṇa)とは異なる。
 「波羅蜜」(skt.:pāramitā)は、特に大乗仏教において強調され、完成を意味する。しかし、漢訳とチベット訳では、彼岸に到る(度(わた)る)と解釈された。

 般若波羅蜜は当初は他の波羅蜜と並列されており、それが他の諸波羅蜜(ことに六波羅蜜)全体を統括したところに、大乗仏教がスタートしたともいえる。
 これは智慧の完成とも、智慧によって彼岸に到るとも解されて、その智慧の内容はすなわち完全な無執着、いっさいのとらわれを離れる、いわんや実体的な考えの徹底的な否定である。さらに般若波羅蜜のサンスクリット語が女性名詞であるところから、仏母(仏の母)とされ、のちに次第に密教との関係が深まってゆく。