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けごんきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2024年10月29日 (火) 15:24時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (漢訳)

華厳経

 大方広仏華厳経の略。Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya-sūtra बुद्धावतँसकनाममहावैपुल्यसूत्र (S)

 大方広とは、証すべき「」のこと、仏とはそれを説いた人のことである。華厳とは、この仏を喩えて言ったものである。
 仏が因位のときに修行した様々なことは「華」と喩えられ、この華によって仏果が荘厳されるから「華厳」と言うのである。又、仏となっての徳は華のようであり、この華によって法身が荘厳されるから「華厳」と言うのである。以上が中国での解釈である。

 サンスクリットの意味は「仏の飾りと名づけられる広大な経」という意味で、上記のような解釈はしない。原本のサンスクリット名は「偉大で広大な、仏の、ガンダ・ヴューハ(gaṇḍa-vyūha)の経」(Mahã-vaipulya-buddha-gaṇḍa-vyūha-sūtra)であったとされている。gaṇḍaは「雑華」、vyūhaは「厳飾<ごんじき>」の意味であって、これが略されて「華厳」という名となっている。
 インド僧のディヴァーカラ(日照、613-687)が「西の国には、ヴューハという名の供養のための仏具がある。それは、下が広く、上が狭くなった六層のもので、花の形の宝玉で飾ってあり、各層にはゑな仏像が安置されている」と話したと伝えています。そして自ら、その仏具の形状は「菩薩がそれぞれの修行の段階のどこにおいても仏となっている」(位位成仏)という、実践的視点からまとめられる『華厳経』の奥深い教えに対応すると解釈している。つまり、法蔵の「ガンダーヴューハ」=「雑華厳飾」=「華厳」という理解の仕方が、その後、東アジアの漢訳仏教圏においては正統説として定着した。

 華厳経は、元々は現在の形のような大部の経典ではなく、小さな経典として独立していたが、3世紀頃に中央アジアでまとめられて、現在の形に近いものになったと考えられている。そのうち数点はサンスクリット本のまま残っている。

 古来からの『華厳経』の評価は、釈尊がブッダガヤーの昔提樹のもとで実現されたさとりの世界、その世界の内景をそのまま表そうとしたものである、という見解が一般的であった。たしかに『華厳経』においては、釈尊のさとりの場が中心の舞台として設定され、さとりの場にある釈尊が盧舎那仏と呼ばれ、その盧舎那仏の世界の光景の描写にかなりの力が注がれております。しかし、『華厳経』が説こうとするものは、盧舎那仏の世界だけではない。おそらくそれ以上に、その仏に支えられつつ、利他の願いをもってさとりの世界へと歩を進める菩薩の実践を説こうとしている。この点で『華厳経』は、「他のために」「生きとし生けるものとともに」という大乗仏教の根本精神をしっかりと受け継いでいる。

漢訳

  • 六十華厳  東晋 仏駄跋陀羅訳。34品・60巻。 大正蔵 9, p.395-
  • 八十華厳  唐  實叉難陀 訳。39品・80巻。 〃 10, p.1-
  • 四十華厳  唐  般若   訳。 1品・40巻。 〃 10, p.661-
     四十華厳は、上記の二種の『華厳経』の末尾にあって、全体の三分の一弱を占める大章「入法界品」だけの新訳である。四十華厳と略称されるが、『華厳経』の完訳ではない。

 このうち、もっとも古い章は、おそらく「十地品」であり、1-2世紀頃に成立したと考えられている。ここでは、菩薩修行の段階を説いており、大乗仏教の修行法を体系的にまとめ上げたものと見られる。

 『華厳経』の原本は、サンスクリット語で書かれていたと思われますが、全体としては残っていない。ただし、上の諸本の「十地品<じゅうじぽん>」に相当するものが『ダシャブーミカ・スートラ(Daśa-bhūmika Sūtra)』として、また「入法界品」に相当するものが『ガンダーヴューハ・スートラ(Gandavyūha Sūtra)』として現存している。

内容

 仏陀のさとりをそのままあらわしたものである、と言われている。そのために舎利弗や目連のようなすぐれた弟子でさえも、何も理解できなかったといわれる。それほどにこの経典は複雑であり、また茫洋としてつかみどころがない。しかしはっきり分からないまでも心して読んでいくうちに、なにか途方もない大きな、大海原のような仏陀のさとりが、ひたひたと我々の心にも打ち寄せてくるのを感ずる。
 その根本的な特徴は、事事無礙法界縁起に基づいているということである。すなわち、究極の真理の立場から見るならば、一切の事象が互いに連関し合って成立していて、とどこおりがないということである。この立場から菩薩行の実践を説いている。菩薩の修行には自利と利他との二つの方面があるが、菩薩にとっては他の人々を救う(衆生済度)ということが、自利であるから、自利即利他である。

 『華厳経』は、旧訳でいえば7処8会34品、新訳では7処9会39品から成り立っている。7処8会というのは、説法の場所とその会座の数である。34品とは34章と言うことと同じである。

  1. 寂滅道場会
  2. 普光法堂会      ここまで地上の会座
  3. 忉利天
  4. 夜摩天宮会
  5. 兜率天宮会
  6. 他化自在天宮会    これらは天上の会座
  7. 普光法堂重会
  8. 重閣講堂会(祇園精舎) ふたたび地上の会座 ここに入法界品が説かれる。

唯心説

 「存在するものは、すべて心の表れである」という思想。この思想自体は、哲学的には4世紀以後、インド大乗の職伽行派の人びとによって大成され、一般に「唯識思想」と呼ばれる。
 もともとそれが瞑想体験を通じて把握された世界観の直接的な表明であることが明確にわかりる。ここには、仏教の唯心的世界観が端的に示されている。

 心は工みなる画師の、種々の五陰<ごおん>を画くが如く、一切の世界の中に、法として造らざる無し。心の如く仏も亦た爾<しか>り。仏の如く衆生も然り。心と仏と及び衆生と、是の三に差別<しゃべつ>なし。諸仏は悉く一切は心より転ずと了知<りょうち>したもう。若し能く是の如く解せば、彼の人は真の仏を見ん。    〔§16、ヤマ天宮の菩薩たちの詩の章〕
 三界は虚妄にして但だ是れ心の作なり。十二縁分も是れ皆心に依る。    〔§22、十地の境地の章〕

一即一切・一切即一

 つきつめていえば、「小が大であり、一つがすべてである」という思想である。すなわち、『華厳経』においては、具体的な事物や事象に関しても、時間に関しても、個々のものを決して孤立した実体的な存在とは捉えず、あらゆる存在が他のすべて、ないし全体と限りなくかかわりあい、通じあい、はたらきあい、含みあっているとされる。詩的に表現すれば、一滴の雫が大宇宙を宿し、一瞬の星のまたたきに永遠の時間が凝縮されている、というわけである。
 『華厳経』は、実はそのような感じ方・見方こそが真実のものであり、存在のすがたに正しく対応している。また、そのような感じ方・見方ができる場は私たちの一つひとつの行動や思考に即して無数に開かれている、と説く。

 一毛孔の中に、無量の仏刹、荘厳せられて清浄に曠然として安住せり。……一塵の内に於て、微細の国士の一切の塵に等しきもの、悉く中に住す。    〔§2、盧舎那仏の章〕
 〔初発心の菩薩は〕微細世界即ち是れ大世界なるを知り、大世界即ち是れ微細世界なるを知り、……一世界即ち是れ無量無辺世界なるを知り、無量無辺世界即ち是れ一世界なるを知り、無量無辺世界、一世界に入るを知り、一世界、無量無辺世界に入るを知り、……一世界、一切世界を出生するを知り、一切世界、猶お虚空の如くなるを知らんと欲し、一念に於て一切世界を知りて悉く余り有ること無からんと欲するが故に、阿耨多羅三藐三菩提心を発す。
……
 長劫即ち是れ短劫、短劫即ち是れ長劫なるを知り、一劫即ち是れ不可数阿僧祇劫なるを知り、不可数阿僧祇劫即ち是れ一劫なるを知り、……無量劫即ち是れ一念なるを知り、一念即ち是れ無量劫なるを知り、一切劫、無劫に入り、無劫、一切劫に入るを知らんと欲し、悉く過去・未来際、及び現在の一切世界の劫数の成敗を了知せんと欲するが故に、阿耨多羅三藐三菩提心を発す。   〔§13、発心の功徳の章〕

初即終

 『華厳経』に強調される特徴的な考え方の第3は、要約すれば、「初めが終りである」というものである。
 聖者にいたるという考え方がまとめられた代表的なものが阿羅漢果を最上とする四向四果の説、仏となるという考え方が集成されたものが菩薩の五十二位の説だが、『華厳経』は一面においてこの後者の説の大きなよりどころとなっている。それらの境位の本質に鋭く着目し、さとりへの心を発した最初の境位以後、どの境位も究極の仏の境位に等しいとも説く。

 初めて発心する時、便ち正覚を成ず(初発心時、便成正覚)     〔§12、清らかな実践の章〕

訳経史

 大本『華厳経』のサンスクリット原典は、遅くとも、支法領がこれを入手した頃、即ち400年頃には成立していたと思われる。その原典はインドにおいて編纂されたというよりも、中央アジアにおいて、それまで単独に伝えられていた同種の経典を選び、いくつかの章を書き足して集成したという可能性もある。
 現存の大本『華厳経』を構成している章のかなりの数のものが早くから単独にインドや中央アジアにおいて行なわれていたことは、『六十華厳』の「名号品」「浄行品」「十住品」「十地品」「性起品」「離世間品」「入法界品」、『八十華厳』『蔵訳華厳』にある「十定品」などのうちの一品ないし数品に対応する諸経典が2世紀後半の後漢代以来次々と漢訳されていたという事実から確かめられる。「入法界品」に相当する『ガンダヴューハ』(Gaṇḍavyūha)、「十地品」に相当する『十地経』(Daśabhūmika-sūtra)、「性起品」に相当する『如来興顕経』などのサンスクリット原典の成立、流布は4世紀あるいは3世紀にまで遡ると推定されている。
 『ガンダヴューハ』はナーガールジュナ(龍樹、150-250年頃)に帰せられる『大智度論』に数回言及、引用され、『十地経』にはナーガールジュナ作といわれる注釈『十住毘婆沙論』があるから、この両経の成立は200年頃に遡り得るが、『大智度論』および『十住毘婆沙論』のナーガールジュナヘの帰属はなお決定的でないから、速断はできない。しかし『十地経』の説く菩薩の十地の名称はナーガールジュナの『宝行王正論』に誤りなく現れるから、ナーガールジュナが『十地経』を知っていた可能性は大きい。