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みょうしき

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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名色

nāman-rūpa (S)

 名(nāman)と色(rūpa)。「名」は心的・精神的なものであり、「色」は物質的なものであるから、「名色」はそれらの集まり、もしくは複合体のことである。元々、古代のウパニシャッド哲学で、現象世界の名称(nāman)と形態(rūpa)、つまり概念とそれに対応する存在の意味に用いられていた。
 名と色。色が物的・物質的なものの総称、名は心的・精神的なものの総称。五蘊でいえば、色蘊が色、他の四蘊(受・想・行・識)が名である。
 インドの古い観念では、モノには名があり、名があれば形も存在する、と理解されていた。

872. "Nāmañ ca rūpañ ca paṭicca phassā, icchānidānāni pariggahāni,
icchā na santyā na mamattam atthi, rūpe vibhūte na phusanti phassā."
「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。
欲求がないときには、〈わがもの〉という我執も存在しない。形態が消滅したときには〈感官による接触〉ははたらかない。」〔スッタニパータ〕

 これが仏教に入って、「名」と「色」でそれぞれ個人存在の精神的な面と物質的な面を表し、「名色」とはそのような心的・物的な諸要素より成る個体的存在のこととされた。この場合の名色は、ほぼ五蘊に等しいものと考えられ、論書などでもの四蘊を「名」、色蘊を「色」に配当して説明それている。
 また、認識論的な観点から、外界の事物・存在も含めたすべての心的・物的な集まりを対象世界として、これを名色と呼ぶこともあり、この場合は六境に相応すると考えられる。

十二因縁の中の名色

 十二支縁起の一契機としての名色。十二支縁起のなかの第4番目の契機。前の識を縁として生じ、縁となって次の六処を生ずるもの。『倶舎論』の三世両重因果説によれば、名色とは、総じては、精子と卵子が結合してできた未熟な状態の胎児、すなわち胎児の五位(羯羅藍・遏部曇・閉尸・鍵南・鉢羅奢佉)のなかの前の4位をいう。

此の道理に由って現在世に於て、識が名色を縁じ名色が識を縁じ、猶し束蘆の如く乃至命が終るまで相い依って転ず
異熟識を離れては、譬えば蘆束が相い依って転ずるが如く、識と名色とが更互が相い依って転ずることは成ぜず
結生識後六処生前中間諸位、総称名色。此中応説、四処生前、而言六者拠満立故。〔『倶舎』9,T29-48b〕