煩悩と悟りとは、ともに空であり、本来は不二・相即していること。煩悩がそのまま悟りの縁となること。
大乗仏教の用語で、積極的にはすべては真実不変の真如の現れであり、悟りの実現をさまたげる煩悩も真如の現れにほかならず、それを離れて別に悟りはないことをいう。 生死即涅槃とともに、大乗仏教の究極を表す句として、有名となった。