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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(有為)
(有為)
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:何らを有爲と謂ふや。頌に曰く「又諸'''有爲法'''とは、謂く[[しき|色]]等の[[ごうん|五蘊]]なり」    〔倶舎論 T29-22a〕
 
:何らを有爲と謂ふや。頌に曰く「又諸'''有爲法'''とは、謂く[[しき|色]]等の[[ごうん|五蘊]]なり」    〔倶舎論 T29-22a〕
  
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:『倶舎論』界品に「衆縁の、聚集して、共に作す所」とある。サンスクリット原典には、「集まり和合して諸の条件によって作られたものが有為である。」(sametya saMbhuuya pratyayaiH kRtaa iti saMskRtaaH)と見える。
  
  
 
:'''注意''' '''有為'''(ゆうい)は儒教の言葉で、文献では「立派なことを行う」などの意で用いられる。老荘思想では「無為」と対比して用いられ、人為的なあり方を意味する。
 
:'''注意''' '''有為'''(ゆうい)は儒教の言葉で、文献では「立派なことを行う」などの意で用いられる。老荘思想では「無為」と対比して用いられ、人為的なあり方を意味する。

2016年11月3日 (木) 05:24時点における版

有為

うい、saMskRta सँस्कृत(sanskrit)

 とは「造作」の意味であり、造られたものを有為という。因縁所生の事物すべてを指す。さまざまな原因や条件(因縁)によって作り出された一切の現象をいう。諸行無常などという場合の「諸行」もこれと同義である。われわれの生存している世界は、すべて生じては変化し、やがて滅していく諸現象・諸存在によって成り立っている。そこで、「有為転変」などというが、これもこのことを意味している。そうした諸現象・諸存在を無常無我とするのが仏教の立場である。
 後世のアビダルマ(阿毘達磨)仏教の時代になると、生滅変化するこの現象界の要素を有為法として、それに対して因縁によって作り出されたものでない存在を無為(asaMskRta असँस्कृत)とするようになった。

何らを有爲と謂ふや。頌に曰く「又諸有爲法とは、謂く等の五蘊なり」    〔倶舎論 T29-22a〕
『倶舎論』界品に「衆縁の、聚集して、共に作す所」とある。サンスクリット原典には、「集まり和合して諸の条件によって作られたものが有為である。」(sametya saMbhuuya pratyayaiH kRtaa iti saMskRtaaH)と見える。


注意 有為(ゆうい)は儒教の言葉で、文献では「立派なことを行う」などの意で用いられる。老荘思想では「無為」と対比して用いられ、人為的なあり方を意味する。