さんぎようぎしょ
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三経義疏
聖徳太子撰と伝えられる3種の経典の註釈書。
の総称。
三経義疏についての奈良時代の記録には、747年(天平19)『法隆寺伽藍縁起并(ならびに)流記資財帳』に「上宮聖徳法王御製者」と記され、『上宮聖徳法王帝説』に法華の等(ごと)き経の疏七巻の御製疏があったと書かれており、智光の『浄名玄論略述』や寿霊の『華厳五教章指事記』などに三経義疏からの引用がなされている。また誡明・得清が入唐し、揚州の霊祐(鑑真の弟子?)に与え、唐の明空が『勝鬘経義疏私鈔』6巻を著した。
平安・鎌倉時代には、最澄・空海・円珍・玄叡・仲算・貞慶・澄禅・宗性など諸宗の多くの学僧が引用・論及しており、凝然は三経義疏の全体に註釈を施した。
1247年(宝治1)三疏が模刻出版され、以後多くの版が出されている。
真撰説・偽撰説
三疏についての記録が奈良時代以降であるため、聖徳太子撰の直接的傍証となるものがなく、真撰説・偽撰説があり、偽撰説には三疏とも偽撰とするもの、一部だけを偽撰とするものがある。
義疏の内容は一乗説に立つ註釈であり、参考書として光宅寺法雲の『法華義記』など中国江南諸師の古い著作を使用したと見られており、『法華経』は鳩摩羅什訳の二十七品本を使用するなど、内容的には古いものである。ただし、これらの参考書に対し、その内容をよく検討し、しばしば疑問を呈示して自己の解釈を示し、法華経の本文に反対する箇所さえあるなど、著者の自由な思索のあとを示している。