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いぎょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

易行

 難行の反対語。他力により浄土往生すること。〔十住毘婆沙論・易行品〕〔秘密安心〕〔一念多念文意〕

 易行道の略で、難行道の反対語。他力による往生浄土の法門。他力・称名念仏の代わりに使用される語。〔黒谷上人語燈録・漢語登録、T83.135c〕〔慈雲『短簡法語』〕

 易行とは、謂く但だ信仏の因縁を以って、浄土に生ぜんと願ず。仏の願力に乗じて、便わち彼の清浄の土に往生を得るなり。仏力住持・仏力住持して大乗正定の聚に入る。正定は即ち是れ阿毘賊致なり。臂えば水路に船に乗ずれば則ち楽しきが如し。〔浄土論註〕

易行の安心

 浄土教の念仏によって得られる安心。〔秘密安心〕

易行易修

「いぎよういしゅ」

 阿弥陀仏の他力によって浄土往生することを説く念仏の教えのこと。〔吾妻鏡〕

内容

 『十住毘婆沙論』によれば、弥陀も含めて諸仏の名を聞き、信じ、そして称えることである。菩薩にとって、仏にたいする信心ないし称名は不退転地をうる因であるが、そもそもかかる不退転地をえさせるのは仏力・仏行であるから、信心にせよ称名に せよ、すべて仏力・仏行が修行者へのてだてとして働く働きに外ならない。「易行」とは「信心を方便(てだて)とする」と龍樹が説くのは、方便(upāya)が真実の力用のことであり、方便の原意「近づいていくこと」とは、他のものをして真実のものたらしめるべく、真実がさまざまなてだてやほうほうをめぐらすことをいう。

意楽

āśaya आशय (S)

 「まっすぐな意欲」という意味で、人間の本来的な願いを指す。古くは「直心」と訳される。