操作

トーク

ぼだいしん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

菩提心

bodhicitta

大乗仏教

 古い漢訳仏典では、道心、道意と翻訳されたが、鳩摩羅什あたりから菩提心の訳語が定着した。最初期の仏典翻訳者支婁迦讖は,ボーディチッタ(bodhicitta)をポーディサットヴァチッタ(bodhisattvacitta) の略語と考えたと思われ、彼は多くボーディチッタを菩薩心と訳している。一般に菩提心は阿耨多羅三藐三菩提心の略語形といわれるが、それにあたる原語が、anuttarasamyaksambodhi-cittaであるとすれば、このような原語はどの文献にもみあたらない。阿耨多羅三藐三菩提心の漢訳は原典中では実は「~がこの上もない正しいさとりへ向けて心を発す」という文(発阿耨多羅三藐三菩提心)から取りだしたもので、インドの文献では独立した熟語とはなっていない。しかし、この文の意味するところ(すなわち発菩提心)を内容として、やがて菩提心という語が独立して用いられるようになった。菩提心の語は、大乗仏典中最古層にある『八千頌般若経』に出るのが最初と考えられる。菩提心の意味は『大智度論』(巻41)に「菩薩初めて発心し、無上道を縁じて我れ当に作仏すべし、と。是れを菩提心と名づく」とあるように、「さとり(bodhi)を求める心」が本来的で、修行道の最初心として重視された。これがのちに如来蔵系統の思想において「さとりの心」と解釈され、仏性・如来蔵などの霊性と同義に扱われ、希求されるべき本性としての意味と価値をもつものとなった。
 大乗経典は、菩提心の呪術的性格をその威力のうえに表わし、それを特色として述べる。『華厳経』入法界品における菩提心百十八相や『二万五千頌般若経』における菩提心の二十二相などは防護・除去・切断・助成・発生など種々の能力を菩提心にもたせ、その呪術的威力の卓越性を高く評価している。この傾向は、のちの経典においていっそう顕著となり、密教において頂点となる。菩提心は修行道の根本因となるもので、その種子性を強調する意味で、経典は菩提心の種々の因縁を列記する。四種・五種・六種・七種・十種・十二種・三十二種などさまざまだが、なかでも、七種因縁説は『如来智印経』の創設で代々継承された。大乗仏教中期頃以降現われた論書のなかで菩提心の解釈がさかんになり、菩提心の自相・因相・果相・功徳相などと分析が行なわれる。この傾向は、『大乗法界無差別論』が菩提心の十二義を詳説した点できわまったといえる。

密教

 『華厳経』入法界品には、菩提心の本性、すなわち、「初発心時便成正覚」の一面を示す次のごとき言葉がある。曰く、「この菩提心より一切の菩薩たちの行の曼荼羅(sarvabodhisattva-caryā-maṇḍala,すなわち、世界の全体)が生ずるのであり、この菩提心から過去現在未来の一切の如来たちが出生する。ある人がはじめて無上正等菩提を求める心を発したそのときに、その人は無量の功徳を具えたものとなる」。 しかしながら、これはなる世界の一面にすぎない。頓に顕現したその世界は、次の刹那から、その菩薩の菩提心という実存によって、その無上正等覚にいたるまで、あるいは、それらプラクシス的連関のすべてが、ちょうど、普賢菩薩によって実証されたのと同様に実証されるまで、つまり、大乗的世界としての一切智智(sarvajña-jñāna)、 または一切智性(sarvajñatā)が実現するまで、無間断に維持されねばならない。菩薩の側からいえば、彼はその世界に入るのみでなく、入り、かつ、その世界を円満せねばならないのである。この、空なる世界の他の一面、「無量劫修行」の面を示すには、同じく入法界品の「大悲にもとづく願という根から生じた菩薩の、一切智性に向けての初発心は、正法の存続という 究竟(paryavasāna,究竟の目標)にいたるまで(の全過程において)、天と倶なる世間にとって、いかなる時期においても資養とならざることはない」、という文がよいであろう。すなわち、一切衆生を包含する全世界が、一貫して一個の菩薩の初発心以来の菩提心のうえに荷負せられる、というのである。
 他の何ものをもってしても代替しえないはずの他者に対するプラクシス的連関としての菩提心は、その他者を、しかも一切衆生としてその構成の契機とする大乗的世界において、成仏という目標に到達するために、無量劫、三阿僧祇劫、あるいは、不可説不可説仏刹微塵数劫などの極大の時間観念を生起せしめる。大乗の次に興った密教はそ即身成仏(此生成仏)の構想を成立させるためには、この大乗の時間観念を克服せねばならなかった。そのために、大乗的世界においては他のものでもっては代替 不可能なる菩提心に対してシンボリスティックな代替が行なわれるのである。たとえば、大乗における初発心より成正等覚にいたる過程は、自己の菩提心が徐々に浄められて、ついに自性清浄心の状態を回復する過程とみなしうるが、密教においては、内心に月輪を観じ、それが十六分の一(kalā)ずつ満ちて満月にいたる過程を、この菩提心の完全性の回復の過程と等置するのである。さらにタントラ的傾向が強まると、女性原理としての智慧・般若と、男性原理としての慈悲方便の結合態としての菩提心は、生身の女性と男性との性的結合によって生ずる、男女両性の体液の混合体(bindu)に代置され、男性の体内に生起したと想定されるそれが、身体的なヨーガの工夫によって、身体の中央を貫通する脈管にそって上昇させられ、その脈管の途上に想定される四つのチャクラ(下から変化輪・法輪・受用輪・大楽輪)を順次通過せしめられ、最上の大楽輪にいたらしめられたときに大楽たる菩提が実現する、とされる。このような即身成仏の構想をはじめとして種々のシンボリスティックな代替が行なわれたのは、密教の実践が総じて〈プラクシス的行の直接性〉という限界を突破してしまったものであるからにほかならない。
 また、関説すれば,何らかの空ならざる実体的世界を衆生の外側に指定するという意味において密教と同じく〈瑜伽の宗教〉である浄土教においては,〈行の宗教〉の原理であるこの菩提心が、その浄土往生という当面の宗教理想に対して不要ないし無関係であることは法然がその『選択集』において明言する通りである。この点において、〈行の宗教〉と〈瑜伽の宗教〉とのクリティカル(critical,両立不能、かつ、二者択一不可避)なる事態を認識せざる明恵の『摧邪輪』における「撥去菩提心過失」という批判は、彼が華厳の世界を正しく把握している事実とはは別に、法然に対する批判を形成しない。浄土教の世界は、菩提心を成立根拠とする華厳の空の世界とはクリティカルなる他者として、それ自体で存立しうるのであるから。

日本

 菩提心は、大乗仏教の実践論におけるキー・ワードの一つである。それゆえ、日本仏教においても奈良仏教以来、菩提心の問題はさまざまのかたちで取りあげられ、論じられてきている。しかしながら、日本仏教における特徴的な菩提心の思想が現われるのは、平安時代以降のことに属する。すなわち、まず日本天台の基礎を築いた最澄は、『山家学生式』(六条式)においてその冒頭に「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心有るの人を名づけて国宝と為す。故に古人の云く、径寸十枚、非是国宝、照于一隅(一説に、照千一隅)、此則国宝と」と述べ、道心、すなわち菩提心の根本的意義を明らかにした。この「一隅を照らす」(「照千一隅」と読む場合は意味が異なってくるが,伝燈的立場ではこの読み方は採らない)に菩提心の端的な顕現を認める思想こそ思うに、以後の日本天台の実践論の基調をなすのである。他方、最澄に拮抗して真言宗を開いた空海は、たとえば『三昧耶戒序』において、真言行者が第一に発すべき心として、(1)信心、(2)大悲心、(3)勝義心,(4)大菩提心の四種をあげている。これらは、合わせて広義の菩提心と称することもできようが、そのうちの第四の大菩提心、すなわち狭義の菩提心についてはこれをさらに①能求の菩提心(菩提を求める心)と②所求の菩提心(無尽荘厳金剛界の身.衆生が本来そなえている究極・絶対の心)とに区別して論じている。それは、まさしくさまざまに展開した大乗仏教の菩提心論を密教の立場において統合・整理したものといってよかろう。そして、空海によれば、これらの二心に根ざす密教の実践によって、行者ははすみやかにさとりの世界に到達するのである。
 最澄・空海のあと、注目される菩提心論を展開したのは、源信・珍海・高弁(明恵)らである。平安中期の源信の菩提心論は、大づかみにいえば、天台と浄土との折中・融和の立場において立てられるものである。すなわち源信は『両巻無量寿経宗要』に説かれた新羅の元暁の説を踏襲し、『往生要集』(巻上末)において、四弘誓願(衆生無辺誓願度 煩悩無辺誓願断 法門無尽誓願知 無上菩提誓願証)をもって菩提心の体となし、縁事四弘願と縁理四弘願に大別する。前者は四弘願の実践であり、仏の立場から一切衆生に発する慈悲心である。前三願は順次、饒益有情戒、摂律儀戒、摂善法戒の三聚浄戒および仏性の縁因(智慧を起こす縁となる善行)、正因(万物に本来そなわっている真如の理)、了因(理を照らして現わす智慧)の三因仏性に対応するもので、応身(現世の仏)、法身真理の仏)、報身誓願の報いの仏)の悟りの原因となる。
 第四願は前三願の完成により三身具足の完全な悟りを得て利他行に及ぶことである。
 後者は「生死即涅槃 煩悩即菩提」の立場から大慈悲心を発し、四弘願を興すことであり、至上の菩提心とされる。前二願は衆生のを除く悲の心、後二願は衆生にを与える慈の心であり、初願は利他の、後三願は自利の立場に立つ大乗菩薩道の慈悲心が強調されている。上の源信よりもいっそうはっきりと浄土教の側に身をおき、それと三論系の仏教思想との調和を図ったのが珍海である。彼は、『決定往生集』『菩提心集』を著わして信心の決定的意義を主張するとともに、往生を可能にする内因は仏性であり、外縁は菩提心であると論じている。
 菩提心論が日本仏教史上最も鋭く問題化したのは、鎌倉初期に法然が『選択集』を著わして、一向専修の念仏を宣揚し、そのなかで菩提心が極楽往生には不要であることなどを説いたのに対して、高弁が『摧邪輪』『摧邪輪荘厳記』を著わして反論を加えたときである。すなわち高弁は、華厳の立場から菩提心を成仏の要因とみなし、上の二著において、中心問題を菩提心におき、五ヶ条にわたり菩提心を撥去せる過失をあげ、善導ら浄土教家の疏文を引用して批判している。しかもこの批判は、単に理論上のものにとどまらなかった。専修念仏に対し、三宝礼の実践というかたちで自ら菩提心の高揚を図り、また巷間に広めている。ここに実践者としての高弁の真骨頂がある。
 その三宝礼とは,仏法僧の三宝、および『華厳経』の十廻向品に説かれる二十種の菩提心から抜きだした次の四種の菩提心よりなる名号本尊の礼拝である。万相荘厳金剛界心→菩提心の自性=大円鏡智、大勇猛幢智慧蔵心→菩提心の正智力=平等性智、如那羅延堅固幢心→菩提心の精進力=妙観察智、如衆生界不可尽心→菩提心の願力=成所作智。三宝礼はすなわち菩提心の信仰のすがたであり、ことさらに果徳の四智ではなく菩提心を礼拝するのは、仏果を満月にたとえれば、菩提心は三日月にたとえられ、無明の世界のうちに勝心たる菩提心を発し、「漸く力を励まして満月と成る」(『三時三宝礼釈』)ところに力点がおかれたためである。この三宝礼は、さらに『自行三時礼功徳義』により肉づけがなされ、名 号本尊の四菩提心は普・賢・行・願と配釈され、これらを称礼すれば普賢行願となり、『四十華厳』の普賢行願品に説かれる普賢の十大願を行ずるにひとしい功徳があると説かれるにいたる。
 なお上の『摧邪輪』『摧邪輪荘厳記』に対しては、法然の門流のなかから反論があいついだ。その代表的なものに覚性『扶選択論』7巻(散佚)、道光『新扶選択報恩集』2巻、真迢『念仏選摧評』1巻などがある.